ポーラX(レオス・カラックス、1999年、フランス/ドイツ/日本/スイス)

cinema

見たのはたぶん大学生のとき以来で、たしか文芸座のオールナイトでフィリップ・ガレル3本と『ポーラX』という夜があったんだと記憶しているというか記録していたはずで、最初に見た高校生のときには、「なんて退屈なんだ!死ね、フランス!」みたいな気分があったのだけどその夜に見たそれはまるで別の映画のように、いきいきと私の目を照らし、「なんて格好いいんだ!万歳、フランス!」みたいな興奮を持って見たのだった。そういう変化は、とても好ましいものだった。それからもう、たぶん7年とか8年とかが経った。バウスシアターでカラックス特集がやっていると知り、行った。同じ格好よさとして、私の目の前に現れた。

 

太陽の光を受けたスプリンクラーに濡れてきらめく明るい芝生の庭からぐいぐいと、閉じ切っていない二階の窓に向けてカメラが上昇していく最初のところから、映像の一つ一つがとにかく鮮烈だった。薄暗い森を歩きながら発せられるカテリーナ・ゴルベワの声。剥がれまくったマスカラのカトリーヌ・ドヌーヴを乗せて夜の田舎道を疾走するバイク。気づいたら片足は使えない視力は失われそうという状態になっていたギヨーム・ドパルデューの重々しい走り。

私はここに描かれるような世界を生きるだけの切実さを持ちあわせてはいないので起こってしまった出来事に対しては「うわ、すごいなそれ」というぐらいしかないのだけれども、まあなんせ格好いい。それはとても大切なことだった。

 

冒頭の、世界の箍が外れてしまった、それを直すために生まれるとは損な役回りですな、みたいなナレーションのあとの、都市を破壊する爆撃の様子とともに流されるやたらに勇ましくどえらい感じの音楽からしてそうだったのだけど、コミューンのノイズオーケストラの様子に限らず、この映画に流れる音がひたすらに格好良くて、バウスだからというわけではないけれどもこれは爆音上映で見たら凄まじいのだろうなと思いながら、音がとにかく、とてもいい。

ちょっと落ちぶれぐらいのタイミングでいとこの援助を求めて訪ねるパーティー会場(いま思い出したのだとヴァレリー・ドンゼッリの『わたしたちの宣戦布告』でもあったけれども、こういうやたら広いマンションの一室を使ってやたら楽しくパーティーしますみたいなやつって、音量とかの問題は大丈夫なんだろうか、今日はパーティーなのね、という近隣の暗黙の了解と許容があるのだろうか、すごい防音壁なんだろうか、それとも勝手にマンションだと思い込んでいたものはクラブだったりするのだろうか)のシーンで流されるかなりヘビーなドローンとか、パーティー中だからその轟音かと一瞬思うのだけどあんな音が流れているわけがなくて、もうただ、ドゥオーンってやりたいんだなっていうカラックスの暗い意志みたいなものが横溢していてとてもいい。

エンドクレジットで、音楽:Scott Walkerとあって、ああ、そりゃあ、という気になった。去年買った『Bish Bosch』が、私にはまったく理解不能というか、理解とか使いたくないのだけど、どのように音に身を委ねたらいいのか不明というか、まあとにかく、激しい異物感の塊みたいなアルバムで、この人の音楽のゴツゴツとした、それこそ血の急流を下るような強靭な突飛さ、凹凸みたいなものは、『ポーラX』とものすごく親和性が高いのだろうなと納得した。その影響で2日ぐらい続けてスコット・ウォーカーを聞いている。やっぱりわけわからない。

 

『ホーリー・モーターズ』も見ようかなとも思ったのだけど、岡山で9月ぐらいにはやるみたいなので、そちらに譲ることにした。


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