7月、苗場

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3年ぶり11回目のフジロックに行ってきた。

わりと直前まで行くかどうか決めかねていて、チケットを買ったのも出発の前日だった。幸いにもレインコートは父親がゴアテックスのやつを持っていたし、テントは友人のところに潜り込ませてもらい、椅子も友人から借りたし、車も乗せてもらった。今までもずっとそうだったけれども、いろいろな人におんぶにだっこのフジロックだった。

音楽、音楽、音楽と、何かあるたびにPSGの『愛してます』を思い出すのだけど、今の私にとって音楽がそんなに大切なものなのかどうかは行ってみたけれど結局はわからなくて、それよりも友人たちとたくさんの時間を過ごしてたくさんの会話をすることが掛け替えのないことだった。やっぱり、どう考えても、ことごとくに極めて楽しかった。

 

 

25日(木)

 

前夜に友人から連絡があり、もともと私が乗せてもらうことになっていた車の持ち主が仕事の都合で翌日発になったため他の車に乗ってもらうことになったと告げられたため集合場所である高円寺に私は緊張しながら向かった。完全な人見知りではきっとないのだろうけれどもけっこう人見知り要素を私はたぶん強く持っているため、待ち合わせ前は想定していた以上にドキドキした。

車に乗って苗場に向かった。雨が降ったりしていたし様々な音楽が鳴らされた。それなりにうまく振る舞えたような気がしたけれども、何かと気を使わせてしまっているのだろうなという気持ちは拭えず、恐縮する車中だった。「どのように振る舞うのがベストなのかはまるでわからないけれど、この人たちはそれぞれにとても好ましい人物なんだろうと節々の挙動から私は判断する」というのが感想というかそのとき抱いた感覚だった。でも、わからないと言っても、その「好ましい」を判断できればそれで十分なのかもなとも思った。知る限り、本当にいい人たちで、好ましい人たちだった。もっと臆せずに関係を作りに行ったらよかったとも反省した。雨がたくさん降って、そういうときにヘッドライトに反射する水たまりはいつだって好きだった。場内駐車場へ入るゲートを車が通るとき、「戻ってこれた」というような気分で泣きそうになった。11時ごろに着いたような気がした。乗せてもらった道中に感謝しつつ乾杯をした。

 

今回は11回目ということでけっこうな回数フジロックに行っていてすべてキャンプサイトを利用しているにも関わらず私はアウトドア的なノウハウを一つも蓄積させることなく、それはいつも他人におんぶにだっこで行っているからなのだけど、今回もタープやテントの設営に対してまるで無力で、あたふたとしながら、(これは本当は俺は触れない方が速いのではないか)という疑念と闘いながら、「すいませんアウトドア的なノウハウ全然ないんですけど何かできますか」と断りを入れつつ手伝える範囲で手伝った。私が打ったペグは、何日目かに見たら外れていた。

 

夜中に出発した友人たちが3時とかに到着し、ちょうど歯磨き前に夕飯を食べようと下に降りていた私は彼らを発見し、会話をおこなった。リストバンドの交換の列がやたらに長いことになっていて、それは運営側のミスとしか言いようのない性質の長蛇だった。空が明けるまで、友人たちと何を話していたのかは忘れたが話した。テントを設営し、明け方に眠ったのだと思った。苗場に着いてから雨はまだ降っていなかった。

 

 

26日(金)

 

じわじわとテントの中をボイルしてくる太陽光にやられて早い時間に目を覚ました。iPhoneが壊れたかと思った。何を押しても画面がつかない。なんでだろう、なんでだろう、と思っていたらかすかに文字が映っているのが見えた。電池の持ちをよくするために画面の明るさをいちばん暗くしていたので、画面が見えなかったせいだった。そのおかげか、一晩経っても80%以上電池が残っており、誰と連絡を取るわけでもないにせよ、何か安心する心地だった。結局お風呂に行ったときに充電できたりしたため、前日に購入していた丸2回充電出来ます的な充電器は不要だった。4000円だった。

 

起き抜けにビールを何杯か飲み、タープの人たち(行きの車に乗せてくれた人たち、それは友人の友人たちで、その集落に15から20人ぐらいいて、すごくアウトドア的なスキルが高い人たちだった)が作った食べ物をいただいたりしながらダラダラした。

私の熱はまだ全然冷めていないらしく濱口竜介の『親密さ』の話を私はなんのきっかけだったか、今の私はなんだってきっかけにしてしまえると思うのだけれども、『親密さ』の話をした。期間中、「親密さ」ではなく「厳密さ」という言葉が会話の通奏低音に流れることになった。厳密であること、その倫理、そしてそこに生じうる暴力。

 

だいぶ長い時間そこに留まり、出発したと思っていたら下からビール買って戻ってくる、みたいなことが繰り返されながら、次第にタープから人は少なくなり、最後までいた人たちが「普通にみんなで集まってキャンプやったらいいよね」「フジロックって言い訳がないとなかなか集まらないから」と言っていたのが印象に残った。そうだよなと思った。私たちは、フジロックという動機を利用して友人たちと会って時間をともにするために苗場に行っている、部分が大いにある。

おそらく空腹などを理由にして下におり、オアシスとかに行ったような気がするけれど定かではなかった。まだ晴れていたのでビールを飲んだし、豆腐飯を食べたのは翌日からだった気がする。

マーキーでロン・セクスミスを4曲ほど見て、全部がまさに「ザ・ロン・セクスミス印」という曲で、とてもいい曲だったのだけど、一つのザ・ロン・セクスミスのバリエーションという印象が拭えなかったためもういいやと思って出た。今思い出したけど、一方で私は最初の曲を聞いたところで涙をあふれさせたのだった。何かがこみ上げたらしかった。中学生のときにナンバーガールに衝撃を受け、そのあとに「初めての洋楽入門」的なものとして友人が貸してくれたいくつかのCDの中にロン・セクスミスがあったということはその涙の理由ではないような気がした。なおそのCD群には他にポーティスヘッド、ペイヴメント、ジェームズ・イハあたりがあった模様。

 

マーキーを出た私はグリーンの左後ろの方の芝生のところに椅子を置いてケムリを見た。ボーカルの人がタオルを回せと会場に指示を出してそれに則って人々が一斉にタオルを回す光景を目撃しながら、私はまたもや涙を溢れさせていた。抑えきれない、という涙の出方だった。この日、私は少し何かに感銘を受けるたびに「やばいよ涙、涙がとめどなく溢れてくるよ」という状態だった。ケムリのそれはとても、いい光景だった。最後の方で眠りに落ちた。

目が覚めると外国の人たちがバンド演奏をおこなっており、ポップな曲をとてもスキルが高そうな演奏でやっていて、パフォーマンスとしてもとても格好よく思い、この人たちはいいバンドだなあと思った。横にいた友人にあれは誰なのかと問うたところ今年のグラミー賞を取ったバンドらしく、「なんと私はグラミー賞バンドを見出してしまった!」という滑稽味を感じた。それはとても健全でいいことでもあった。

 

そのままマイブラを見た。とてもよかった。ヘヴンに移動してピザを食べた。みなが絶賛するピザで、都合3度ほど食べたが、とてもおいしかった。このころには雨が降りだした。ヘヴンではなんとかというギタリストか誰かがバンド演奏をおこなっており、私はピザでお腹が膨れたためか、椅子に座って眠りに落ちた。

目を覚ますと20時過ぎで、友人たちの姿はもうなく、この日初めてタイムテーブルを開くとFlying Lotusが始まっていたので気持ち的には急いだ感覚でホワイトに向かった。グーグル日本語入力は「ふらいんぐろーたす」でちゃんと「Flying Lotus」にしてくれるので優しいし、スペルの間違いがなさそうで心強い。

Flying Lotusは格好いいという話以外は聞いたことがなかったのだけど、そのステージはもう素晴らしくよかった。でっかいスクリーンをスペイシーな風合いの映像が音と連動してバキバキと覆い、スクリーン裏のDJブースに立つFlying Lotusがマイクを持って煽ってくる。アンコールではずっとラップをしていた。ものすごい格好いい映像と音楽と、そしてその人物の粗野そうな感じがものすごくよかった。今年のベストアクトは?と問われたらそれだった。

 

椅子をヘヴンに置いていたので取りに戻ると人々がいて、目の前ではチャーたちが演奏していた。友人に先ほど見たFlying Lotusが格好良かったことを告げるとその友人も見ていたらしかった。私はそのとき、そのことをすごく話したいと思っていて、どうもここのところ、いいと感じた物事について私は他者に言いたくて仕方がないのかもしれない、とそのとき思った。それはもしかしたらある種の自己顕示にもなりかねないけれど、「私は・これが・よかった」と意思表示することは、コミュニケーションにとって有用なことでもあろうから、他人との接続という、前向きかつ社会的な身の変化の仕方なのかもしれないとも思った。

 

雨は振り続け、雷が空を何度も明るませた。音が遠かったこともあり、また、落ちたとしてもこれだけ会場に人がいたらその対象は自分ではないだろうという無根拠かつ無責任な気分から雷怖いということにはならず、むしろぬかるんだ道を照らすツールとして雷光がありうることを発見して喜ぶふうでもあった。

ホワイトの、名前の読み方(ロゴの文字が読めなかった)がわからないトリの人の演奏を見た。大きな竜の頭を模したDJブースで、炎やスモークがふんだんに使われる、とてもバカらしく大味な舞台で、音は全然好きでもなんでもなかったけれども見世物としてすごくいいと私は思って、途中でご飯とビールを買いにアヴァロンに行って戻ってきたら竜の頭がすごく高いところまで上がっていて「バカだなあ」と思ってとても好ましいと感じ、道が混む前にと思いオアシスに向かった。

 

しばらくしたのちにオアシスで友人たちと合流し、酒を飲むなりご飯を食べるなり各人の好きなことをした。パレスに行って、また人々とはぐれる格好になり一人でテントの中で揺れてみたり、フジウジちゃんというろくでもない催しを見たり、危険そうなバイクのやつを見たり、火を吹くドラゴンのやつを見たり、ルーキーステージの演奏にちょっとグッとしながら過ごした。これまでパレスで遊ぶことはほとんどなかったのだけど、なんだかとてもいいところだと感じた。マーキーに行き、DJシャドウを待ちながら椅子に座っていたら眠りに落ち、起きたらDJシャドウが始まってだいぶ経ったところだったし、疲れていたので帰ることにした。

歯磨きをリュックに入れておけばよかったと思ったのはこのときで、歯磨きをリュックに入れていれば帰りがけに歯磨きをおこなってテントに戻ることができた。反省をしてビールを飲み、同宿の友人に「音を立てて申し訳ないなあ」と思ってから寝た。

 

 

27日(土)

 

またもや朝は晴れるということで暑くて目を覚ました。友人たちと車でお風呂に行った。ダラダラと過ごした。ずっとここにいてもいいぐらいの心地があったが、ちゃんとテントに戻ったし、会場にも行った。

何を見たいということもなかったためにオアシスでパエリアを食べた。途中で強烈な雨が降ってきて、人々と同じ考えからマーキーの中に避難したが、人々で埋め尽くされていて、仕方がないというか無気力な心地で私たちはマーキーの屋根から数メートル離れた雨ざらしのところで立ち尽くしていた。煙草に火をつけてみたが途中で濡れて消えた。それ以外なにかをやる気にもならず、雨にただ打たれていた。気持ちとしてはしかし悪いものではなかった(日常の中では雨に打たれたまま立ち尽くすということはなかなかしないため)。

雨が一向にやまないので、私たちはマーキーの演奏を見ることにして、ずいぶん前の方まで行った。なんとかという鍵盤と歌唱を生業にしているマコーレー・カルキンみたいな人が率いるバンドの演奏を聞いた。あまりピンとこなかったけれど、よかった。

マーキーの中にいると、雨だれの勢いを見て「ああまだ雨あんな強く降ってる」と思いがちなのだけど、小用目的で外に出てみればそう降っているわけでもなく、「なんだ、これしき」と思った。マーキーに戻り、ダークスターだかダークスターズだかそんな名前の人だか人たちだかの演奏を見、1曲目で見事に眠りに落ちた。目を覚ましたらライブが終わったところだった。そこにいた4人とかの友人のうち誰も感想を言っていなかった気がするが、もしかしたら全員が寝たのか。すごく格好いいと聞いていたので残念な事柄だったが特別後悔することはなかった。

 

ヘヴンに向かった。途中でグリーンでアンダーワールドの人が一人でやっていて、友人が「うーん」というようなことを言っていたけれど、アーティストの人は大変だよなといつも通り思った。ライブだと、特にフェスのライブだとその傾向が強いのかもしれないけれども、私たちが舞台上のアーティストに期待するのは、そのアーティストの現状を見せてもらうことではなくて「私のフェイバリットのあの曲の再現」であることが多いような気がして、つまり、変化なんて誰も求めてはいないみたいなところがあって、だけどやっている人たちも当然いろいろやりたいことは変化していって「あの曲」なんてもはやどうでもいいとか思っていたりもするのだろうけれど、多くの観客はそんな気分の変質なんて知ったこっちゃなくて、いいからあの曲をやれと、やってくれと、イントロドンで「わー」って大歓声って、予感に対する賞賛じゃなくてすでに完成したあの曲の記憶をすっかりそのまま見せてくれよなという脅迫でもなり、「わー」って、あれはけっこう、すごいことだ。ヘヴンでまたピザ食ったと思う。

 

3人組のブルースかカントリーかよく知らないけどきっとアメリカ人なんだろうなというバンドがやっていて、ペダルスティールを用いたちょっとアンビエント気味のスタートからすごく気持ちのいい音を聞いて、「これはとてもいいぞ」と思っていると友人たちがオレンジに行くというので執着もまるでなかったのでついていった。ブラジルの人たちがやっていて、そこで懐かしい友人にも出くわした。うれしい出来事だった。

それからグリーンに戻り、ビョークをほんのすこしだけ見た。4曲ぐらいだったと思うけれど、格好良かった。しかし気持ちとしては今一番かっこういいラッパーということを友人が言っておりそれはたいへん信頼出来る筋からの情報だったのでケンドリック・ラマーを見たく、すぐにホワイトに行った。

ケンドリック・ラマーは立派なバンド編成で、すごく煽ってくる感じで、あとものすごいオーディエンスに話しかけてくる人で、多くの人びとは英語を解さないという場所だったのでトーンだけを聞き分けて「イェー」と言ったりして、「何言ってるかさっぱりわかんないけどお前のこと応援する気持ちに嘘はないよ」ということを伝えた。ラップはとてもうまいし格好いいと思ったのだけど、演奏が大味な感じで「うーん」と思っていたら、気づいたら眠りに落ちていた。目を覚ましたらライブが終わったところらしかった。どうも、面白い/つまらないの体感に対して眠気がものすごい正直に反応しているみたいで、動物みたいだったし見栄も何もあったものじゃなかった。それは健全なことではないかと思った。

 

ザ・バンドの誰かがやるというのでヘヴンに行った。そこでも何かを食った。たしか生姜丼みたいなやつで、太陽食堂という名前のところだったと思う。3日で3回行った。3日目に食ったラグーパスタと枝豆のコロッケが今年一番ぐらいに美味しかった。それにしても3年前に比べても「食堂」というショルダーネームを使っている店が増えている感じがして、まあこれ完全にそのトレンドだよなと合点がいった。

ザ・バンドのバンドは、白ひげのおじいちゃんと、ずっとおじいちゃんだと思っていた車椅子黒サングラスのおばあちゃんと、あとは一回り二回りは若い人たちという編成で、懐かしいあれやこれやの曲を聞くことが出来たという思い出消費的な満足ももちろんあったけれど、おばあちゃんが車椅子に座って杖をどんどん叩いてリズムを取りながら、枯れながらも張りのある声で歌い上げるあの様子に感動しないわけにはいかなかったし、おじいちゃんのピアノ、それからオーディエンスの歓声に応える際の、おじいちゃんのあの両手を伸ばしてぴょんぴょんと指を振る動作、そういったあれこれがとてもハートフルで好ましい光景だった。

私にとって「あの曲」に相当するのは「The Night They Drove Old Dixie Down」で、聞きたいなあ、聞きたいなあ、とても聞きたいなあと思っていたら、ライブ終演後のSEの一発目で流れ始め「そんな形で聞きたいと思っていたわけじゃないんだよ!!!!」と大笑いをした(一人で)。でも何にせよとても心を打たれて、いい気分でいたし翌日もずっとその曲を口ずさんでいた。

ホワイトに移動し、ジュラシック5の最後の15分ぐらいを見ることが出来た。当初はジュラシック5はこの日とても見たいものだったのだけど、ザ・バンドの人のバンドがとてもよかったので最後まで見てしまったため最後の方しか見ることができなかった。それはたしかにその通りなのかもしれないけれど、ケンドリック・ラマーを見て「うーん」となったことが影響しているかもしれなかった。「今はもしかして楽しくワイワイヒップホップみたいなものを見ても楽しめないのではないか。それよりも老アーティストたちの姿を思い出消費とともに見る方がいいのではないか」等という原因。

15分見たジュラシック5はすごく楽しく、かつザ・プロフェッショナルという一分の隙もない完璧なパフォーマンスで、魅了された。やっぱり最初から見たかった。

 

それにしてもいくらビョークが早い時間に終わったとは言ってもジュラシック5はけっこうものすごい人の量で、ヒップホップってこんなにみんなに愛されていたんだ、と感慨深かったというか別に感慨深くもなかったけれど、人が多いと思った。

そのため帰りはすごく行列だったので、友人たちとところ天国に退避してウダウダとした。男はつらいよの上映をおこなっていた。

人がすいてからオアシスに戻り、ご飯を食べたり飲酒したり、各々が好きなことをしながら、友人たちとこの夜は延々と話していた。それはやはり有意義で親密で大切な時間だった。ライブを見て「あれ、意想外に面白くない」と思うぐらいだったら友人と話していた方がずっといいなと今の私は思っていた。

帰りがけにパレスに寄ろうとしたところなんとかテントとかいう名称のなんとかというところに行列が出来ていたのでスルーして帰って、寝る前にハンバーガー食ってビール飲んで寝た。とてもいいおこないだった。

 

 

28日(日)

 

また朝は晴れていた。友人の一人がヨ・ラ・テンゴを見たいらしく、前日ほど風呂でゆっくりはできないぞ、という認識からてきぱきと風呂に向かおうとしたところ、そのヨ・ラ・テンゴを見たい友人が「俺も(お前が昨夜食ったという)ハンバーガーを食いたい」と言い出して、しかも思ったよりも受け取るまでにずいぶん長い時間が掛かったので、皆、「あ、これはヨラテンのために焦る必要はなくなったということだな」と認識した。この日も車で温泉に行った。気持ちよかった。ゆっくり過ごした。

それでもその友人は風呂から戻るとテントに戻らず直接グリーンに向かって、あとでテントに戻ってきた。10分か5分ほど見れたと言っていた。「すごい行動力だなあ!」私は感嘆した。豆腐飯を食べた。

どうもこの期間中、胃に優しいものを体はずっと欲していて、うどんやオクラ納豆丼とか豆腐飯とかそういうヘルシー系のものをわりと何度も食べていた。そのせいか、快便が維持された。

 

グリーンに行くと、晴れていたので格好よさそうなバンドが演奏をおこなっていた。おじいちゃんの3ピースで、すごい格好よかったのでビールを飲んで見た。たぶんそのあとにまた雨がたくさん降ってきて、今年はとにかく雨に降られる年だった。

マーキーでHAIMというガールズバンドを見た。エネルギーに満ちたとてもいい演奏で、私は勝手にその女性たちのことを「『スプリング・ブレイカーズ』のあのスプリング・ブレイクを終えた少女たちが組んだバンド」という設定で見た。春休み、はっちゃけたくてなんかはっちゃけるところいって、すごいいいねと思っていたらヤクでしょっぴかれた縁で知り合った危険そうな男たちと過ごすことになって、銃とか手にしたけれど私は元気ですという、あの素晴らしい感傷とエネルギーに満ちた映画のあの少女たち。春休み終えてキャンパスライフが始まって、なんかやっぱり楽しいことないかなって誰かが言って、楽器を手にする。やってみたら下手くそだけど楽しいねとなって、はまって、ああいった演奏をおこなう。有名になって海外のフェスに行くことになっちゃった。

そんな彼女たちの演奏はすごくよかった(あとでウィキペディアで見てみたら全然そういう鬱屈から発奮系のバンド結成経緯ではなく、音楽好き一家のプロジェクトからの延長、ということがわかった)。

 

激しく催したので渋々マーキーを出たらすでに友人たちも出ていて、どっかに行くというからついていった。ヘヴンでレゲエの人たちがやっていた。少し見ていたら、気づいたら眠りに落ちた。一人になったこともあり、特別興味はなかったがトロ・イ・モワを見にホワイトに行って、座ってみていたらやはり特別興味がわかなかったと見え、眠りに落ちた。今年は一度寝たら演奏の途中では絶対に起きない、みたいなことになっていて心強い。

そのあとどこかに行こうかとも思ったけれどどれがということもなかったので相対性理論を見ることにして待った。相対性理論は2曲ほど聞いたけれど「わたし今こういう音ぜんぜん楽しく聞かない」ということが発覚したので出た。相対性理論は好きだし、ツインドラムでびっくりした。

ヘヴンに移り、Lotusの最後の方を聞いた。最初からこっちにいればよかったようにも感じたけど、一方で元気すぎるかもとも感じた。

アヴァロンでお腹を満たそうと向かった屋台のお兄さんが親切だったので、そのあとにビールを飲みたくなったときにどうせ同じビールを飲むならさっきのところにお金を落とそうと向かったところいくらか並んでいて面倒くさくなったので一番並んでいないところでビールを買った。キャット・パワーを見るためホワイトに戻った。

 

キャット・パワーは今回わりと見たかったもので、私は一時期彼女の音楽が大好きで、新譜が出るたびにちゃんと買う、という立派なカスタマーだった。高校生のとき、『You Are Free』が出た記念のライブが下北沢のラカーニャだかラマーニャだか、そんなところであり見に行った。それが最初で最後のキャット・パワー体験だったのだけど、背が高く髪の長いショーン・マーシャルはライブ前に恋人と腕を組みながら道を歩いていた。ライブはギターとピアノの弾き語りで、しばしば失敗して「ソーリー」とか言いながら演奏する姿はすごくチャーミングで、いいライブを見た、そんな記憶があった。

そのあと興味を失ってから、たまに新譜が出たとかニュースを見て、YouTubeで聞いてみたりするものの、私が好きだったあの感じはずいぶん薄まってしまったらしく、遠のいていた。だから今回のライブも楽しみではある一方で、おそらく私が好きだったころの雰囲気はもうないのだろうから、楽しく見られない可能性大、という予測はすでにつけていた。で、実際そういう感じで私が好きな音ではなかった。それは私が3,4曲目で眠りに落ちたことで実証された。そりゃそうというか、10年前のあの曲を、あの感じでやってくれよだなんて、そんなことを思ったってまるで仕方がないことだった。彼女は彼女の変化をして、私は私の変化をするという、実にシンプルなことだった。

 

The xxを見た。とてもかっこうよかった。

 

長い時間一人でいたので寂しくなっていたところ友人を見つけたのでうれしかった。キョロキョロしていると、PUNPEEが若い人たちに写真を頼まれてカメラマンをしている光景を見かけた。すごくいい人そうだった。

相変わらずホワイトの行列がたいへんだったのでところ天国に退避してホットワインを飲んで、それからオアシスに向かった。なんか食うか飲むかして、そうこうしていたら時間になったのでパレスに。The Otogibanashi’sは今回のフジで一番見たかったアクトかもしれず、とても楽しみにしていた。そのため最前列で見ていたら、最前列にいるのはだいたいメンバーの友だちとかのようで、メンバーに「俺、俺」みたいな感じで手を振ったりしていた。ライブはとても楽しかった。雨がまたどんどん降ってきたのでかすうどんを食べて、パレスのテントの中でキューバ音楽とダンスみたいなのを見ながら楽しく踊った。4時頃だったか、帰ることにしたのだけどお腹がすいた気がして寄り道をして、スタミナうどんを食べた(立て続けにうどんを食べているという認識はこのときはなかった)。何がスタミナだったのだろう、油揚げぐらいしかない気がするが、と思っていたのを、戻ったあとタープにいた人たちに言ってみたところ、ニラが、ということだった。

タープで楽しいおしゃべりに花を咲かせ、5時頃寝た。

 

 

29日(月)

 

初めて朝に雨だった。片付けをしなければいけない時間になんでまた、と思いながら9時前に目を覚まし、一服をする間もなく片付けをした。みんなすごく効率的に片付けをおこなっていた。

雨のせいか、「さようなら、苗場」みたいな感傷もまるでないまま荷物を持って車へ向かい、乗り込んだ。猿ヶ京の温泉に行った。景色もよく、とてもいいところだった。15分ほど湯に浸かった。そのあとにそこの2階でご飯を食べた。そばを食べた。おいしかった。

3台の車の人たちがそこにいたのだけど、そこで他2台のタープの方々とは別れを告げた。お世話になった。

帰りの車は友人たちの車にお邪魔した。大きな車で、すっかり眠った。高円寺に着き、安いピザを食べたあと、なんとかという焼き鳥屋だか焼きトン屋に行って飲んだ。疲れていたこともありこの機会はこれ以上は楽しくは話せないかなとも考えていたので帰ろうかとも思っていたのだけど、まあ行ったら楽しいかなと思って行ってみたらすごく楽しくて、私はきっといきいきとしていた。あれはでも本当に、少なくとも私にとっては、素晴らしく実り多い豊かで快適な時間だった。肉をたくさん摂ったせいか、直後に猛烈な腹痛に襲われ、腹を下した。それはそのまま苗場の期間中に危惧していたことだったので、最後の最後で本当によかった。

高円寺で一人、中野で一人おり、新宿まで送ってもらい、車の主にありがとうを告げた。新宿駅で別れを告げてベルクでビールを一杯飲んでから埼玉まで帰ろうと思っていたら一緒に新宿でおりた一人がこれから友人たちと飲みに行く、その場所はベルクである、ということが発覚したので「じゃあ俺は君らの席からは離れたところで飲むからここで」と言ってベルクの前で別れを告げ、一杯飲み、さらに埼玉で一杯か二杯飲み、帰った。

 

 

30日(火)

 

起き、ご飯を食べ、母親に二週間とかお邪魔しましたと言って家を出る。新宿に行ってベルクでビール二杯とジャーマンブランチと大きいウィンナーを食べ、東京駅に出、バー的なところでウィスキーを飲み、新幹線、ビール。岡山へ。帰る。20日ぶりに。大学生のとき以来の長い長い夏休み終了。8月からまたしっかり働きたい所存。


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