8月、パスタ、ライブ、境界なき土地

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ここのところまかないでパスタを作ることが多く、何を作ってもやたらに美味しくて、いったいなんなんだろう、この美味しさは、と愕然としていたのだけど、そうなってくると今度は「基本を、学びたい」みたいな妙な探究心が私にしては珍しいことに芽生え、本屋に行って『落合務シェフのイタリアン』なるレシピ本を買ってきてまずはトマトソース、と思ってトマトソースを作った。それを使い、ブカティーニはないのでスパゲッティで、アマトリチャーナ的なものを作った。アマトリチャーナはブカティーニを使ってこそ、というもののようだからスパゲッティの時点でもはやそれじゃないような気もするし、グアンチャーレという、豚の頬肉の塩漬け的なものを使ってこそというもののようだからベーコンの時点でもはやそれじゃないような気もするので、もはやトマトソーススパゲティという感じだったけれど、美味しかったし、レシピ本で「ブカティーニのアマトリチャーナ」という料理名を見たときに彼女が言った「のしかわからないね」という発言はとてもよかった。本当に、のしかわからなかった。でも散々ググったりしたあとの今なら大丈夫。ブカティーニは穴の開いたパスタの名前、アマトリチャーナは町の名であるアマトリーチェから。今ならそれがわかる。これが進歩というものだろうか。

そのあとは同じくトマトソースを用いたプッタネスカ的なものを作ったけれど、プッタネスカはその名称が娼婦風という意味である、という以外にどう定義されているのかをまだ調べていないので、私が作ったものがどこまでプッタネスカであるのか、わからないでいる。

次はラグーを作りたい。先日なんとなくのやり方で作ったボロネーゼがやたらに美味しかったので、落合シェフのレシピを使ったらそれ以上に美味しくなるに違いないと考えると、それはいったいどんなに美味しいものなんだと、期待がやたらに膨らむ。ちなみに先日適当に作ったボロネーゼは冷蔵庫にあったという理由だけで長ネギやミョウガといった香味野菜を加えてみたもので、これは我ながらに妙案だったように思われる。なお、今年のフジロックで一番おいしかったのはヘヴンの太陽食堂のなんちゃらのラグーパスタだった。やたら美味しかった。

 

昨日、店の地下で平賀さち枝のライブがあった。平賀さち枝さんのライブがあった。たくさんの記憶を想起させるような、不思議で、素晴らしく魅力的な歌声だった。歌声も、話し方も、話していることも、異様な存在感を持っていて、それを聞き続ける2時間はすごくいいものだった。

それはそれとして、私が感心というか、いいよねと強く思ったことがあって、それは今回のライブを企画したのが呼び屋でもなんでもなくてただ平賀さんの音楽が好き、それを人々に聞かせたい、と強く思っただけの、音楽業界とかまるで関係のない一人の若者だったということで、そういうオーガナイズのあり方は、とても健全で、とても好ましいものだと感じた。こういう動きは本当に、たくさんあっていいものだと思う。私もいつか何かそういった「これを聞かせたい!見せたい!岡山に来てほしい!」みたいなものをやりたいし、そういう人がたくさん、意思表明したらとてもいいなと思っている。例えばギャラが10万という案件のときに、「それはもうぜひ!」という人が10人集まれば、1人1万円の負担でその催しは実現できる。お客さんがちゃんと入ればペイもできる。1回のリスクが10万だとさすがに結構あれだけど、それが1万とかまで下がるのであれば、サステイナビリティという点でもいいと思う。とかなんとか、サステイナビリティとか言っちゃう感じがあれだけど、そういう打算めいたものとは正反対にある、今回の平賀さんのライブを企画した方の熱意みたいなものは、本当にとても素晴らしく大切なものだと感じた。

 

本、7月と比べれば完全に低調で忸怩たる思いの中、読んでいる。ルルフォのあと、長い時間を掛けてセルヒオ・ピトルの『愛のパレード』を読んだ。そのあとホセ・ドノソ『境界なき土地』も。

『愛のパレード』の、推理小説の結構を取りながら解決を放棄するようなあり方というのは私にとってはとても魅力的なあり方で、そういうすれすれ感、宙吊りの時間の愉悦みたいなものって最高ですよねと、頭では思っているのだけど、いざ読んだらモヤモヤだけが残るというとても相反することになった。答えほしい。答え、ください。という。というか、答え、とは確かに思いはしたのだけど、たぶん私は『愛のパレード』のわりとスタティックな、ただただ人が語りまくるという、身体性に乏しい文章に嫌気がさしただけだったのだと思う。これがとてもダイナミックで、人が動く、動く、体が、動く、みたいなものがあれば、答えとか解決とか度返しにした楽しみを覚えられるはずだと思うのだけど、描写がその喜びを与えてくれない場合には、解決が必要とされるのだろう。『愛のパレード』は私にとってはいささか退屈な読書となった。

一方で『境界なき土地』は面白かった。勝手にもっと何か凄惨で劇的なことが起こるのかと期待していたのだけど、その期待は裏切られたのだけど、どん詰まりの人々の息づかいや、土地の荒廃や、雨の匂い、クラクションの騒々しさ、そういうものが充実した描写の中で立ち現れて、やはり、小説を読む私にとっての喜びはこの、要するならば時間と呼べるような、そういうものを感じることなんだろうなと思った。

今はフアン・パブロ・ビジャロボス『巣窟の祭典』と、フアン・カルロス・オネッティ‎『屍集めのフンタ』を読んでいる。どちらもとても好ましい印象。特にビジャロボスの表題作はすごくよかった。麻薬王の息子の少年のひとり語りで、一足でアフリカまで飛ぶそのダイナミクスさは、アフリカという以外何も共通点はないけれども先月に見たミゲル・ゴメスの『熱波』を思いださせたりもした。『熱波』は全然乗れなかったのだけど。ユーモアと残虐さ。好ましい同居。

 

電源が3%になって消費電力でどうのこうのというメッセージが現れたのでこれで終える。と打ってから更新するまでに1%まで来たので電源につないだ。


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