9月、緑の家、ホーリー・モーターズ

cinema text

「強い風が吹き、ガラス壁を隔てて目の前にあるそれなりに大きな木がゆさゆさと重量を感じさせるあり様で揺れている。道を歩く人々は少し前のめりだったりして、風にそれなりに抗ってみせている。バカどもの巣窟と化したような感のあるファーストフード店で主に若い人たちが傍若無人な振る舞いを続けている。私はその店のカウンター席に座ってカタカタと打鍵を続けている。今日は休みの日で、久しぶりに店のブログを書こうとがんばっているのだけど、一度途切れた習慣というか重力というか恩寵は、そう簡単に私を回復させないで、何を書いたらよかったのか、何がこれまで書かれてきたのか、わからなくて指が動きあぐねる。大量のバンズを持った業者が扉から出て行った。そういう姿を初めて見た。

 

今日は休みの日で、昨夜間違って店で寝てしまい、その寝心地が悪いためにどうしても早起きになって、三文得をしたと思って早くから活動を開始した。具体的には銀行に行って両替をおこなうということだった。天気のいい日だった。おしゃれなカフェに行ってバルガス=リョサの『緑の家』を読んだ。すぐに疲れた。いくつかの物語が並行して描かれるのだけど、150ページぐらいまで行ってもいまだに誰と誰がどういう関係でエピソードの時系列がどうなっているのか、把握できないでいる。その状態で読書を続けるためには目の前に描かれる情景や行為のシンプルな強さや美しさだけが頼りで、だけど今のところ、そんなにグッと来るところもなく漫然と読んでいる。グッと来ていないことは、一つも折られていないページを見れば一目瞭然だった。

 

必要な買い出しをおこなった末、店に戻ってきた私たちはそのまままた店で眠りに落ちてしまい、目を覚ませば外は薄暗くなっていた。人生の黄昏時、と思って悲しくなった。

 

 

先日、やっとレオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』を見てきた。冒頭、カラックス、寝起きの夜中もサングラス、と思って格好いい思いをしたのち、晴れ上がった朝の邸宅から出てくるドニ・ラヴァンの姿。上がり下がりする肩の動きからその人物がドニ・ラヴァンだと確信されるが、こんなに老いたのか、こんな顔だったか、と「うわー…」と時の流れの酷薄さを思わされる。そしてそれとともに「え、ドニ・ラヴァンが資本家!?」というところでなんというか、なんか何かとえげつない気になる。リムジンに乗り込み、今日のアポの件数を運転手に確認する。

そのあと車から降りてくるドニ・ラヴァンがみすぼらしい老婆に変装してボディーガードに付き添われて歩いていき、橋のところで金を乞う姿を見ながら、「この資本家はこういう奇癖があるのだろう。ドニ・ラヴァンはどれだけ資本家になってもやっぱりこういうところがあるのだろう」みたいに見ていたら、そのあとに車を降りたあたりで、ああ、アポとは、そういう、ということがにわかに得心される。そこからはただただ七変化するドニ・ラヴァンの姿、その運動の強さや美しさに魅せられ続ければいいだけで、極めてシンプルな規則のゲームではあったのだけど、繰り返されるうちにこの職業の苛烈さがのしかかってきて、役者とは、なんという…!というところで愕然となるというか、「うわー…」という気になってくる。二つの場面で運転手がプレイ中のドニ・ラヴァンに介入してくるような場面があって、どこまでがそれで、どこまでがそれじゃないのか、というこの「うわー…」という感じ。あるいはドニ・ラヴァンの顔、どれがいったい、僕らがかつて見たあの若者の十数年後の顔、本当の顔なのか、本当の顔なんて果たしてあるのか、というなんか「うわー…」という感じ。そしてまたかつての恋人の死。全体に漂う死の予感というか死の空気。ドニ・ラヴァンもまた、クライアントの指示によって、一つのアポをこなす行程の中で本当の死を死ぬことになるに違いないのだろうという「うわー…」という感じ。これ大変な一日だよなー実際と思いながらも、彼は仕事を終えれば朝出てきた家に帰るものだと素朴に信じていたところを、あ、そうじゃないんだ、というのがわかるときのいよいよなんていう暮らしなんだ…!という「うわー…」という感じ。

行為の美しさ。俺はわりとそれを信じたいしそれを目撃するために、人間の行為の美しさ、体の運動の美しさ、表情の美しさ、つまるところ人間の存在の美しさみたいなものを目撃するために映画を見たいんだよなという思いは、ドニ・ラヴァンの疲弊した声を、夜中のリムジンたちの嘆きや諦めの声を聞きながらも、まるでなくならないわけで、いっそう強くなるわけで、本当に、えげつない、美しい、素晴らしいものを見てしまったという強い喜びを抱えながら映画館を出て店に帰ってパスタを作ったというのがその夜だったわけだけど私は良く生きたい。

 

まずはこのろくでもないファーストフード店を出てから酒を飲みたい。」と打ってパソコンを閉じ店を出て酒を飲むべく、どうしようかと散々、それこそ30分ぐらい悩んだ挙げ句がんばって一人で居酒屋に入ってみたけれどビール2杯と肉豆腐を飲み食いしながらひたすらiPhoneを見ていただけで、すごく虚しい気持ちになった。虚しい気持ちになったけれど妙に酔っ払ってしまって家に帰りそのまま寝た。一日があっという間に過ぎていく。今日はその次の日で夜で、休憩時間にパソコンがないことに気が付き、まさかと思ってマクドナルドに電話をするとパソコンの忘れ物があるということだった。こんなケアレスミスをするとは、と本当に驚き、盗られなくてよかったという安心よりも自分への落胆の方がずっと大きく、非常に鬱屈した心地になった。今日とて、一日は本当にあっという間に終わってしまった。何も成し得ないまま、私はどうせ死ぬのだろう。わりと気分が塞ぐ。


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