10月

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夏だろうが秋だろうが指はすぐにあかぎれを起こして曲げるだけで痛いという状態に簡単になるのだけど今日からは右手親指の爪の近くにちょっと深い割れ目ができて少し動かしただけでひきつるので早く保湿剤を塗って手袋をして眠りたいと思ってもいるのだけど、今日も今日とて、休憩時間は深い眠りに落ちてしまい、それ以外の時間はよく働いていた身であったので、このまま一日を、1ページの本も読まずに、一文字の言葉も打たずに、一秒の映画も見ずに終えてしまうのは惜しいというよりは、腹立たしい気がして2時になってからコーヒーを淹れて、今が2時25分であることが画面の右上で確認された。コーヒーは酸味の奥に少しえぐみを感じる気もするのだけど全体的にはそれなりに美味しく淹れられたような気がしたが、私はもっと美味しくコーヒーを淹れたいとこの2週間ぐらい思うようになった。多くの物事に対して私は中途半端な姿勢のままに生きていて、それなりであればいいような感覚でいるのだけど、追求型の人間の話を聞くと羨ましい思いもした。私には基本的には真似が出来ないことだとは承知した上で、私はどのように善く生きていくのか、今一度考えなければならないような気があった。先ほど読んだツタヤの社長のインタビュー記事で、光沢のある顔色をした白髪のその男性は、かつて人に「会社の成長ばかり考えないで、増田さん個人の成長を考える目を持たないと絶対にダメになる。最終的には会社もダメになる」と言われたということを言っていて、それはなんとなく、今の私にとっても多少迫ってくる言葉のような気があったし、”増田”という人名はもはや、匿名ダイアリーの書き手のことにしか見えなくなってきてしまっているという点から言っても、私は少しいくつかのことを休ませたりストレッチしたりした方がいいのだと思われた。夜中だ。少し前に読んだ体罰問題に関するブログ記事で、私はインターネットは怖いところだと思った。もはや、型に則ったような、スムースでクリアな言葉以外は、インターネットの人々には届かないのかもしれないと思うと、恐ろしいことだった。届かないというか、そういう言葉以外を受け付けないような人々にも誤送されてしまう怖さがインターネットなのだろうと思った。過激と言えば過激なタイトルにだけ引き寄せられてきた人々が、中身も読まずにタイトルだけをあげつらって非難する。あるいは読みにくいと言って非難する。最後まで読んだものだけが石を投じるべきではないのかと思うけれどもそういうことではないらしかった。長すぎる、というのが非難の言葉として有効だと本気で信じている人間がたくさんインターネットにはいるのだということが私には恐ろしかった。また、書き手の手癖や、あるいは技芸のようなものがまったく無視され、「要は」ですべてが片付けられる世界が恐ろしかった。プロセスが生む、紆余や曲折が生むドライブのようなものは、多くの人間にとってノイズでしかないらしかった。ノイズこそが面白いではないかという主張は、受け入れられる余地がなかった。人々の余裕のなさ、遊び心の持てなさが恐ろしかった。いやそれは違うのかもしれなかった。全編がノイズでしかないような、私にはとても魅力的なものに思えた記事がホットエントリーに入った直後に書かれたその記事が、今度は炎上のような形でホットエントリーに入って、自分に届けられたと勘違いした誤送先の人々が盛大に叩いている姿が怖かったのかもしれなかった。わからなくなった。同じインターネット、同じ村の住人でも、こんなにも違うのかというところが怖かったのかもしれなかった。隣人はストレンジャーだった。私は移住者といえば移住者であるが、それは村においても、あるいは現住する町においてもそうだけれども、移住者といえば移住者であり、私が住むこの町は、他の町もそうなのかもしれないけれども、少し歪んでいるような気が、ここのところいくつかの箇所で感じられるのだった。15世紀だか16世紀だかわからないけれどもヨーロッパからアメリカ大陸に人々がこぞって移住していった。原住民は迫害された。原住民は「正しい」キリスト教の教えを受けるべきだとされ、強制された。ラス・カサスはがんばったが、及ばなかった。時々、この「正しさ」を私は感じて、息苦しくなった。それは移住者個々が持って振りかざしているというよりは、ラテンアメリカのそれとは異なり、原住民たちが崇めることによって形成されている部分もあると感じた。私たちは遅れた者で、彼らは進んだ者であると、だから彼らは正しいのだと、原住民たちがその空気を固めていっている気がした。わからない。こう書いてみたけれども、本当にそうなのかはわからなかった。いずれにせよ、私は移住者でありながらも、いわゆる移住者ではない性質を持つので、気分が中途半端な場所だった。いわゆる移住者、というその感覚自体が、考えてみればとても奇妙なものだった。本来であればいつ移住したものであろうとも移住者は移住者であるはずなのに、いわゆる移住者であるための条件としてある時期以降に移住した者という項目があることが不可思議というか、いびつだった。それどころか、いわゆる移住者であるための条件というか、原住民側がこぞって歓迎する、いわゆる移住者というのは、結局のところ何かしらの手に職を持った、それこそノマドなワーキングのスタイルを持ちうる者たちであるという項目すらあるような気配があり、それらにより二重に移住者と原住民のあいだにスラッシュを引くような嫌いがあった。ひがみ根性のようなものに端を発する私だけの感覚なのかもしれないが、どこか、そんなような気がした。そもそもそんな議論はすでに出尽くしていて解決済みなのかもわからなかった。私はどこにも参与しないために、知らないだけなのかもしれなかった。知らずして、私だけが私こそが勝手に特別視し崇めているだけなのかもしれなかった。いずれにせよ私はとても中途半端だった。私が上げる声は原住民のものでもなく、移住者のものでもなかった。自身を定義づける都合のいい枠組みを持たないストレンジャーだった。私にとってさよならは、ストレンジャーではなくアーバンギターだった。今朝もランダム再生にしたそれらの楽曲を聞きながら口ずさみながら、私は厨房の中で汗をかき準備をおこなっていた。私は、ナンバーガールを熱狂的に好きである、ということによって高校時代、最も自分を定義づけることができたような気があった。先日店にきた多分高校生ぐらいの男性は、持ってきたCDを掛けてもらえるんですよね、と言ってきたので、いや、それは基本的には嫌です、と言った。ただし、もう閉店時間も近く、他に人もいないし、新しい人も来ないような気もするので、今日は掛けてもいいです、他の人が入ってきたら変えますけれど、と言った。それによって、店の中にきのこ帝国というバンドの音楽が流れた。その高校生ぐらいの男性は、連れてきていた男性一人、女性二人と一緒にその音楽を聞いた。話もせずに、それぞれ本を読んだりして過ごしていた。その高校生の男性の目つき、大人なんて信じてたまるか、というような気分を感じさせる硬直した挑発的な苛立たしげな目つきは私をしたたかに打った。彼はきっと、自分が何を好きであるかということだけによって、自身を定義づけ、世界を定義づけられると感じる高校生ぐらいの男性なのではないかと思うと、私は、私はいてもたってもいられなくなった。自分が愛する固有名詞だけが、自分を定義づける。その気分を、私の勝手な憶測のその気分を、私はすごく美しいものだと感じた。それは過去の自分を肯定する身振りでもあった。私は、その男性に何かCDを貸したいような気がした。こういうのを聞いたことがありますか、もしよかったら聞いてみますか、と言って何かを渡したいような気がした。だけど何か、そんな大人の手引みたいな振る舞いは私はしてはいけないような気がしたのでやめた。その男性はその男性だけの獣道を自分の手でかき分けて進むことを望んでいるのではないかと、全てが憶測ながらに思ったからだけど、その男性が10年前の私であったならば、もしかしたら喜んでその申し出に乗ったかもしれないと後になったときには思った。もっと屈折しろ、もっと思い悩めと、そう思った。どんどん固有名詞で自分の人生を彩っていけと、そう思った。その先には一つの明るい未来もないんだと、そう思った。それでもそうだとしてもとにかくその感じで闇雲に歩を進めろと、そう思った。それはほとんど、願いや祈りのような性質のものだった。10月になった。


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