2013年ベスト、映画

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2013年に映画館や上映会的な催しで見た映画(要は家の画面以外で)のうち、たいへん気に入ったもの10本。

私は例によって何かを数えることをとても好むので、何本見られたかなーというのをエバーノートで確認する作業が楽しかったのだけど、それによると去年見たのは108本で、そのうち映画館で見たものは52本ということだった。2012年が90本ぐらいで、来年はせめて100本は見たいとかぬかしていたのでノルマが達成できてよかったですね。

さらに細かく見てみたところ(しかし一体なんのために)、去年はどうやらというか実感としてもそうだったのだけど、映画を見る時期/見ない時期、というのがとても明白に分かれる状態だったようで、

 

・1/10~2/20(41日) – 24本(1.7日/本)

・2/21~7/5(143日) – 23本(6.2日/本)

・7/6~7/24(18日) – 19本(0.9日/本)

・7/25~11/18(116日) – 13本(8.9日/本)

・11/19~12/30(41日) – 29本(1.4日/本)

 

というふうになった。

1月から2月が店も暇でDVDを借り続けた期間で、2月から7月というかなり長いこの時期は忙しかったのもあったのだろうけれどもとにかく映画をまったく見ずに過ごし、7月の1日1本以上見ている時期は夏休みで京都や東京に行っていた時期で、それから11月の後半に掛けては本を読むことに忙しかったりして見ず、最後に「このままじゃ100本見られないんじゃない?」という危機感からだったのか、暇だったからなのか、あ、違いますね、『2666』を年末に読む予定というなかで、もはやなんの本を読んだらいいのかわからない、読みたいラテンアメリカ小説はだいたい読んだ気がする(全然そんなことないにも関わらず)、もはや食指が動かない、それなら映画を見よう、というタイミングだったのか、きっとそうなのだけど、それでわりと毎日のように見るという流れ。

一年間でならすと3.3日/本ということだった。本数はまあこのぐらいでいいでしょうと思うので、今年はずっと3日に1本は見るぐらいの感じでいけたらいいなと(しかし一体なんのために)。 

しかし本当に、数を数えてこうやって楽しんで、本当にさもしいなと我ながら思うのだけど、そういう性向はきっと治らないのでもう諦めている。 

ということでベスト10。印象に残っている順番。@のあとは見た場所、リンク先はこのブログ内で言及されているエントリー。「『xxx』見た」だけみたいなのもあった。あるいは一度も言及されていないものも。

 

 

1.『親密さ』(濱口竜介)@立誠シネマプロジェクト

 

2.『孤独な天使たち』(ベルナルド・ベルトルッチ)@シネマクレール、ジャック&ベティ

 

3.『スプリング・ブレイカーズ』(ハーモニー・コリン)@シネマライズ

 

4.『ローマでアモーレ』(ウディ・アレン)@ヒューマントラストシネマ渋谷

 

5.『The Intimate Stars』(牧野貴)@cafe moyau、JAPONICA

 

6.『ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス)@シネマクレール

 

7.『カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ)@第七藝術劇場

 

8.『楽隊のうさぎ』(鈴木卓爾)@ユーロスペース

 

9.『ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン)@TOHOシネマズ岡南

 

10.『ゼロ・グラビティ』(アルフォンソ・キュアロン)@TOHO岡南

 

1.『親密さ』(濱口竜介)

真夏のうだる暑さの京都を歩き、上映時間ギリギリで席につき、びっしょり濡れたTシャツがどんどん冷たくなっていく中で見た『親密さ』。こんなにも、誰かにその映画のことを話したくてたまらない、語るなんていう言葉には私はまだ恥ずかしさを感じてしまうけれども、語り合いたくてたまらない、語り合いができないなら一方的に語りかけ問いかけたくてたまらない、という気にさせる映画に、今まで出会ったことがあっただろうか、というレベルのアクチュアルっぷりだった。強くあること、倫理的であること、言葉を尽くそうとすること、それが誰かにとっては暴力になるかもしれないということ。とにかく、よく生きること。よく生きるとはなんなのか、それを考えようとするとき、この映画のことがいつだって浮かんでくる。東北記録映画三部作や『不気味なものの肌に触れる』を含め、2013年、やっと濱口竜介という作家を目撃できたこと、それが何よりのよろこびだった。

 

2.『孤独な天使たち』(ベルナルド・ベルトルッチ)

二度見に行った。一度見、この映画のことを友だちと話していたらやたらに盛り上がり、これはもう一度見たいよね、ちょうど横浜でやっているね、というので翌日一緒に見に行くということになった。最前列で、『ドリーマーズ』の若者たちのようなつもりで見た。とにかく若い二人が美しく、一挙手一投足に魅せられた。問題はなんら解決されていないように見えても、それでもよく生きようと努めること。笑顔でハグして別れること。

 

3.『スプリング・ブレイカーズ』(ハーモニー・コリン)

これもまたよく生きようぜという映画だった。とは言えやたらに感動して涙があふれましたという以外にはあんまり覚えていなくて、でもやたらに感動したのでそれはとても素晴らしい時間だったのだけど、上映後にシネマライズの階段をあがったあたりで、女子高生二人組がとても楽しかったというようなことを話し合っていて、目の前はパルコだぜ、ここは渋谷だぜ、だから何ってわけじゃ全然ないんだけど、夏休みが始まるんだぜ、お前ら、堂々と、何にひるむことなく好きに生きたらいいんだぜ、と思ったら感動が再燃したというなんだかよくわからないけれどそれは俺にとって美しく尊い記憶なんだってことは誰にも否定できないんだよというなんというか。年末にソフィア・コッポラの『ブリングリング』を見て、これも少年少女がビッチな感じでどうだろうと思ったのだけどやっぱりハーモニー・コリンの突き抜け方にはならないんだよなと思った。ソフィア・コッポラに期待する方向が違うのかもしれないけど。

 

4.『ローマでアモーレ』(ウディ・アレン)

絶えず5秒前に見た予感の映像を5秒後にそのまま見るような体験だった。それはなんでだろうか、途方もなく感動的なことで、ウディ・アレンが出てくるぞ、ろくでもないことをわめきだすぞ、という予感が5秒後に実現されてから終わるまで、とにかく笑いながら同時に途方もなく感動して涙を流し続けるという倒錯的な観客であり続けた。ここ何年かのウディ・アレンの活躍が嬉しくて仕方がない。

 

5.『The Intimate Stars』(牧野貴)

友だちの手引で西日本上映ツアーの会場として私たちの店も参加して初めて牧野貴という作家に触れたのだけど、どの作品を見ても映画体験それ自体が更新されていくような驚きがあり、私は、今、とんでもないものを見ている、というおののきとともに上映に立ち会った。その直後に夏休みに入ったのでツアーを追うようにして京都のジャポニカと同志社でも見た。その中でも特にこの作品は強く印象に残って、めくるめく(いやそれは本当にめくるめくだった)映像と音楽に、たしかこれは30分ぐらいの作品なのだけど、3時間ぐらい見ていたい、その絵と音の前でただ目を開き、耳を開き続けたい、そうしたらどこかの時点で頭がだめになりそう、と陶酔した。宇宙ステーションにしか見えない観覧車の姿、落下傘部隊にしか見えない空中ブランコの姿。

 

6.『ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス)

いたたまれなくなるほどの痛苦の中で、それでも生きることに徹し、よく生きようと志向すること。ドニ・ラヴァンの美しすぎる運動と変身をなんの疑問も抱かずにただただ見とれること。

 

7.『カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ)

地鳴りのようなドールズコールをともに合唱すること。地団駄を踏みながら、映画館に鳴り響くリズムとともに生きること。パブリックビューイングだと錯覚したふりをして勝利に快哉を叫ぶこと。旧作をベストに入れるのもどうかなと思ったのだけど、地方に住む身の悲しさだけど数えるほどしか旧作を映画館で見るということを去年はできなかったので、とんでもなく感動したので。

 

8.『楽隊のうさぎ』(鈴木卓爾)

この映画の中学生たちの、もう本当に、こんなものは、今この瞬間でしか捉えられない、といういくつものいくつもの美しくもろくたくましい顔を見ることができて本当に幸福だった。映画はすべてドキュメンタリーだと思っている節があるのだけど、この映画の、撮影中にどんどん背が伸び、どんどん楽器が下手でなくなってしまう、願おうが願うまいが、という中学生たちを見ていると、取り返しのつかなさ、反復の不可能性みたいなものがより強く感じられ、本当にうれしい。宮崎将の眠たげな表情も井浦新の素晴らしい父親っぷりも、素晴らしいものだった。今週末ぐらいから岡山での上映も始まるのできっとまた見る。

 

9.『ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン)

これもまた素晴らしい子供たちの映画。魔法にかかったように、子供たちと幾人かのよき大人たちの冒険を喜び続けた。本当に魔法のような時間だった(そのためか、魔法がとけてだいぶ経ってしまった今、あまり内容を覚えていない…)。

 

10.『ゼロ・グラビティ』(アルフォンソ・キュアロン)

3D映画をこれまでそう楽しいものとして受け入れてこなかったのだけど、これはとても面白かった。IMAXで見た友だちはこれはIMAXで見なきゃわからないよと言っていた。そういうものなのかもしれないね。でも楽しかったからいいんだけど。重力ってすごいんだなーというのがよくわかって、その場面がとても好きだった。

 

 

そんな感じでした。年の前半はどうにも映画不感症というか、何を見ても楽しいと思うのだけど楽しいで終わってすぐに消えるような感じで、一方で夏の時分はとてもビシビシと、映画っていいなあとなっていたらしく、1から5まではすべて夏季に見たものになった。夏、映画館は涼しくていい、ということだろうか。真夏、真冬の今となれば、真夏というその言葉だけで何かいとおしい。

上記の他には、『アウトロー』(クリストファー・マッカリー)、『ゼロ・ダーク・サーティ』(キャスリン・ビグロー)、『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ)、『世界にひとつのプレイブック』(デヴィッド・O・ラッセル)、『リンカーン』(スティーブン・スピルバーグ)、『オブリビオン』(ジョセフ・コシンスキー)、『エリジウム』(ニール・ブロムカンプ)、『アルゴ』(ベン・アフレック)あたりがよかった。すべてTOHOシネマズ岡南で見たものだったし、それらはどれも、楽しいと思うのだけど楽しいで終わってすぐに消えてしまうようだった。悲しかった。それからミゲル・ゴメスの『熱波』が全然楽しめなくて、評判もいいみたいだし、それも悲しかった(しかしなぜ)。『自分に見合った顔』は途中まではすごく楽しかった。あとは『共喰い』(青山真治)、すごくよかった。これはものすごくよかったのだけど、なぜだか、どういう言葉でそれを考えたらいいのかがまるで取っ掛かりがつかめなかった。不思議な映画だった。

 

その他、家でDVDで見たものでは、どれも年末に見たものだけど、『サッド・ヴァケイション』(青山真治)、『ももいろそらを』(小林啓一)、『あの夏の子供たち』(ミア・ハンセン=ラブ)がすごくよかった。『サッド・ヴァケイション』はとても久しぶりに見たのだけど、隅から隅まで完璧な映画だと、大げさかもしれないけれどもそういうふうに思って見た。『ももいろそらを』はあとでインタビューとかを読んでいたら読まなきゃよかった、作り手の意図なんて知らなきゃよかった、と思いはしたのだけど、高校生たちの溌剌とした姿が素晴らしいと思った。『あの夏の子供たち』の、見ている者の内に思い出がすごい勢いで生成されていって、ともに喪に服すような気分にさせられるところがすごいと思った。ものすごい、とんでもない映画だと思った。

 

ミア・ハンセン=ラブ、ジャック・ドワイヨン、それからラリユー兄弟、去年トーキョーの人たちに大いなる喜びを与えたらしいそれらの作品を私が見られる日は来るのだろうか。来るのだろうか。これは本当に懸念するところだし、特に『運命のつくりかた』でものすごい衝撃と喜びを与えてくれたラリユー兄弟の新作はどうしたって見たい。どうしたって見たい。

 

しかしなぜか、なぜだろうか、ホン・サンスの『3人のアンヌ』の、イザベル・ユペールが手をひらひらと、ゆらゆらと動かす場面が、2013年の映画、と思って何かを思い出そうとするたびに浮かび上がってくる。美しい身体の美しい運動を、2014年も目撃したい、ということだろうか。

 

intimateなstarsを背景にあたかも星座のように親密に並べられるいくつもの素晴らしい顔、といった体のトップ画像を作るのに4時間とか掛かってしまって4時になってしまった。本当にバカらしい(けど憎めない)。


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