5月
2014年5月11日
強い風が家のベランダの向こうに広がる森というかいくつかの大木の葉をゆっさゆっさと揺らし、集まった太い持続音が私の耳に届く晩がいくつかあったが、その風が吹き始める数日前には雲が空をいくらか暗くさせ、降らないままでいてくれるだろうかとそこに集まった数十人は頭上の空を見やり一様に懸念の思いを抱いたものだったが結局は杞憂に終わり、友人の結婚式はつつがなくとりおこなわれた。
そこで私は初めて人前結婚式というものを見たのだったが、とても好ましいものだった。チャペルに通されたときには、片言の牧師によって祝福されるというあの茶番を演じるのだろうか、あの二人でさえも、と思っていたのでそうではない形式の結婚式が目の前でおこなわれ、それは清々しく好ましいものだった。一方であの茶番としか言いようのない片言牧師とて、そう悪いことばかりではないのかもしれない、というのはのちに人々と話している際に思い知らされたことだった。曰く、日本人牧師による挙式は、逆にガチにキリスト教色が出てしまって、それは多くの非キリスト教信者ではない日本人の男女にとって望むところではないのではないか、とのことだった。一理あると思った。
披露宴というかパーティーは、乾杯の挨拶とそれに付随する形のいくらかのスピーチというものを任されていたので、それが終わるまでは気が気でないというか、緊張しいなので話している途中でえづいたりしたらどうしようと不安に思っていたが、以前も一度友人代表スピーチ的なことはしており、そのときは話し始めたらペラペラと話せたものだから、まあそうなるかなとは思っていたのだが、それでも、ここのところは気のおけない友人と話している最中でさえも吐き気に襲われ、ちょっとトイレ、などと言って席を外しえづく、みたいなことがいくらかあったから、それがスピーチ場面に適用されないとは言い切れない、ということで不安は不安ではあった。結果としては想定外に声が震えるということが序盤にあったものの、全体としてはつつがなくとりおこなわれた。カメラが向けば、私の顔はいつだってこわばるのだった。カメラの前で素直な顔でいられた試しが生きている限り一度もない。
小学校時代の友人の結婚式だった。親しい人の結婚式は、本当にこんなにいいものはないなと、わりとシンプルな性格なのか本当にそう思えて、今回も本当に二人をもう完全にというか全面的に祝福しますわという祝福モードに街は包まれ、多くの参列者たちは選手団に大きな歓声を送った。赤いジャケットを着た選手たちも晴れやかな顔で手を振りそれに応えた。私はそんな瞬間があれば、それは根拠に、希望の、もっと言えば生きる、と、そのように、感じた。うれしかった。
小学校時代の友人で、新郎側の友人でもっとも多かったのは高校時代の友人の方々であり、私はわりと面識があったり遊んだことがあったりする人があったので、アウェーな気分に陥ることがなく安心だった。友人からは、中学3年生のときにナンバーガールの1stを録音したMDを誕生日プレゼントにもらったことがあった。それまでオリコンランキングに入る音楽以外に音楽があることすらほとんど認識せずにJポップを聞いていた私にとって、その音楽は衝撃以外の何ものでもなかった。だからそれは間違いなく私の人生を変えたし、何かを決定づける出来事だった。だからその友人は、私の人生にとって大変な重要人物だったし、高校時代の人たちの幾人かも、彼の何かしらによって大きな影響を被ってきたと言った。そういうことが十年後あるいは十数年後にこうやって振り返られることは、とてもいいことのように思えた。だから私はそう話したことのない彼の高校時代の友人二人と二次会までのあいだの時間を喫茶店に行って過ごし、喧々諤々と話をしたのだった。プレシャスな時間だったし、人生にとってこんなにうれしいことは、そう、という大げさなことすら思った。
二次会もとてもよく、そのあとに仲の良い友人と飲みに行き、総じて本当にいい一日を過ごした後の私はただの暇人であり、散歩をよくおこなった。3駅分、5キロぐらいを歩いてゆき、途中で喫茶店に寄ったり、ということをおこなって電車に乗って家に帰った。散歩前、家で映画をいくつか見た。『秋刀魚の味』と『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』、『夏時間の庭』、『桐島、部活やめたってよ』を見た。いずれもよかった。『秋刀魚の味』はどうも初めてではなかったが、途中からは初めてとしか思えない気分で見た。岩下志麻の、あの顔の、おぞましいほどにゆっくりした動きにドキッとし、無数の矩形だけによって繋がれた画面の連鎖にぞっとした。みーくんもまーちゃんもチャーミングだった。そして夏時間の庭。本当に、びっくりするほどによくて、庭に座る人々のあの笑顔というか破顔というか、笑っちゃったあの感じの素晴らしさ。暗い部屋に座る老婆の影の美しさ、強さ。遺産相続という話もなんだかすごくいいものに思え、そして最後のあの子どもたち。なんて最高なんだ!!!!と思って立て続けに見た桐島、封切り時に2度見に行って以来、DVDで見るのは初めてだったのだけど、さすがにある程度冷静に見られるかと思っていたけれどやっぱりダメだった。ちょうど真ん中ぐらいだろうか、どこでだったか、今の酔っ払った頭ではうまく記憶を取り出せないのだけど途中で涙腺が崩壊し、鼻水を垂らしまくりながら最後まで見ることになった。やっぱり途方もなくすごい映画だと思う。
だから、というかそういうこともあって、カントの『実践理性批判』を買って読み始めたはいいけれど、進まない。理解しているのかしていないのかわからないというかしていないのだけど、驚くほど進まず、いくらかがんばって文字を追うのだけど、気がついたら手にはiPhoneが握られていて、2ちゃんのまとめサイトとかをサーフィンしている、2時間経った、みたいな夜がいくらかあった気がした。今は先月から読んでいるけれどこれもまた進まないヴァージニア・ウルフの『歳月』を読むことにした。登場人物がうまく把握できないながらも、少しずつ、歳月が経つにつれ、なんとなく輪郭が浮かんできたというか、人に生命が宿ってきたように思うし、章の最初にある風景描写はどれもすごくよくて、風や太陽が主人公となるということはやっぱり小説にとってというか読む私にとって、すごく楽しいことだった。今は少しずつ楽しい。
そういったこともあり昨夜は吉祥寺のバウスシアターにいき、牧野貴の『Phantom Nebula』を見た。いくつもの像が、光と轟音の中から浮き上がり、消えていった。銃剣を持ったインディアンの隊列が画面中央から下に向かって行進していく様子や、波打ち際で組み合う二人が倒れ、と思ったらエクソシスト的にがーっと後退していく様子、人面が何かに飲み込まれ変形していく様子が観察された。それは、残酷な自由をこれでもかと享受する時間だった。そのことに私はうろたえ、驚いたことに感動して涙を幾筋が流しさえしたのだった。それは残酷な自由だった。何が見えてもいいという圧倒的な自由。画面を見るということの本来的な難しさを突きつけてくる自由。自分が見たものが一緒に同じ画面に向かっているはずの何十人もの人とはまったく共有できないかもしれないということを前提に初めて手にする自由。どこを見るのか、そこに何を見るのか、すべてを自分で背負い込むしかないというような自由。自由とはかくも、という時間だった。
しかし端的に、すごく面白かった。牧野貴の映画はどれを見てもそう思うけど単純に面白くて、不思議なことだ。何を見てもいいから、とんでもないものが目の中に現れてくるから、しかも絶えず現れてくるから、こちら次第でいかようにも、だからなのだろうか。
その前に日中はK’sシネマでボリビアの映画を見たのだった。何が上映されるのかも知らずに映画館に行き、何が上映されるのか結局知らないまま上映が始まったのだけど、そこで見た『叛乱者たち』はどうも最新作とのことで、目玉の作品だったのかもしれなかった。人はすごく多かった。ホルヘ・サンヒネス、ウカマウ集団。そう面白くなかった。え、ボリビア、こんなにクオリティ高い映像を撮るの!?というところで面食らったところもあったのかもしれなかった。映像が目的ではなく、歴史を紹介するための手段にしかなっていないような気がしたのかもしれなかった。他のやつはどうなんだろうか。少し気になるが、どうなんだろうか。
今日もよく歩いた。表参道駅からぐるっと代々木公園のあいだを通って結局渋谷駅にゆき、そこからぐるっと表参道をかすめて神山町というのかな、アップリンクがあるあたりまで歩き、渋谷まで、という行程をあとで地図で測ってみたところ10kmくらいはそれだけで歩いたらしかった。昼から酒を飲むことをおこない、それはこのうえなく好ましい時間だった。夏時間の庭。帰ったのは結局終電間近だった。大宮から家までも、5キロほど、電車はまだあったけれどラーメンを食うことでその手段をなくして、歩くことにした。夜道は怖かったし、明らかに時空を超えただろ今、という道を消失する瞬間がありぞっとした。