6月

cinema text

映画を見ようと思って出かけたらどうやら近くで今晩エグザイルのライブがあるようで、たくさんの若い人々がエグザイルと書いたTシャツを着て首にタオルを巻いており、今日もまた、開場と同時にたくさんのグッズが売れるのだろう、ということがわかった。音源を売るのではなく、ライブで収益をあげる、みたいなことを初めて読んだのはクリス・アンダーソンの『フリー』においてだったかそれ以前だったか、それは忘れたけれども、フリーミアムモデルだとそういう感じになるよ、みたいなことが書かれていたような気がおぼろげながらするのだけど、エグザイルの状況を見ていると、ライブ及びグッズ販売は確かに大きな収益源になるのだろうなということがよく実感されたけれども、一方でエグザイルのような知名度がない音楽家の方々はどうなのだろうと考えたとき、と考えたのち、私は映画館の中に吸い込まれてウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』を見たわけだけど、節々に「いいね!」とは思いながらも最後までそう乗ることなく終わってしまっていささか物足りない気でいたところ、エンドクレジットが流れていく様子を見ていたらぼろぼろと涙がこぼれていくのを知覚したのだった。音楽とアニメーションの愉快で楽しい調子に、うれしい、心揺さぶられる思いが強くしたのだった。

 

先日、京都に行った際に寄った恵文社の古本コーナーで見かけたので買ったウィリアム・サローヤンの『ママ・アイラブユー』がやっぱりすごくよくて、だから、ウェス・アンダーソンには、今作はシュテファン・ツヴァイクにインスパイアされてとあったけれど、次回作はウィリアム・サローヤン作品を下敷きにして撮ってほしいと思った。途方もなくチャーミングな映画ができそうな気がする。

 

ここのところは映画をまったく見ておらず、最後に見たのが先月の24日だったから、20日も見ていなかったことになった。24日は『デス・プルーフ』を見にバウスシアターに行った。ビールを買い込み、友人たちとそれを見た。たくさん笑い、泣き、勇気をもらった気になり、予定通りにかかと落としが決まった瞬間に喝采を送った。それは素晴らしい時間であり、そのまま友人の家に行った私たちは、今度は家で、もう一度見たのだった。そしてそれはやはり同じように素晴らしかったし、スタントマン・マイクがやたら美味そうにナチョスを食うシーンで一時停止され、友人は即席でナチョスを作ったのだった。そういった一日を美しいと形容しない場合、人生において美しい一日など存在するのだろうか、というような美しい一日だった。

 

しかしそれから先は私は映画をまったく見ておらず、なぜなら私のこの日々はバケーションではなく求職中のそれだからであり、実家に帰ってきてからは物件探しや内見等をおこなって日々を過ごしている。あまり焦らない方がいいとは思っているのだが、収入がない状態を続けていくような勇気も私にはないから、できたら早く店を作りたいと思っているが、いろいろなことをわかっていない私は物件を見たところでここから店を作るためにはどれだけの費用が掛かって、というようなことをまるでわかることができず、そして明確な物件のイメージも持っておらず、うろたえるばかりだった。やりたいことははっきりとわかっているけれども、物件や内装のイメージがないためつまずいている感があり、悩ましく思っている。飲食店開業の本などを手にとってみるのだけれども、そしてそれは参考というかなるほどということにはなるのだけど、そこにはたいがいの場合「夢」という言葉が出てくる。それが気に障る。これは夢ではない。と私は思う。やりたいことをするための舞台設計でしかない。夢などではない。

 

FIFAワールドカップが開幕して数日が経った。にわかサッカーファンになるというのは予感としては十分にあったことだったが、まさか、昨日の夜中から朝方までの2試合を見、明日は7時に起きてイングランド対イタリアを見て、そのあと日本対コートジボワールだぞ、みたいな感覚にまでなるとは思ってもいなかった。せいぜい日本代表の試合は、見るぞ、がんばれ、がんばれがんばれ、ぐらいだと思っていたので、わー4時のスペイン対オランダまで1時間空くのかー、仮眠してのぞもうかな、みたいなことを言って結局起きたまま試合を見て、うわーオランダ容赦ないなー、なんかちょっとなぜか泣きそうになってきた、みたいな妙な感情まで発生させるとは、思いもよらなかったことだ。明日は早い。今日は12時には寝ようと思っている。なんてまさかこんな、なんなんだこの、この感じは、とおののいている。数日で飽きると思っているが、どうだろうか。

 

物件がなかなか決まらない場合はアルバイトでも始めようか、と今は思っているが何をして働こうか、と今は思っている。なんにせよ開業資金というか貯金は目減りしていくだけだし高い住民税の通知も今日届いた。実際に開店に向けて動き出してからは、お金のことばかりを考えている気がする。これまでもお金のことはよく考えていたけれども今は脳裡にこびりついてはがれないような様子で、常にお金のことを考えている気がする。貯金額ではとうていできそうにないということが徐々にわかってきた感もあり、でももしかしたらできたりするというかできるぐらいのものをやるのが身の丈に合っているかなとも思いつつ、よくわからないのだけれども、借り入れを検討し始め、日本政策金融公庫にもちょっと行ってみた。貸してくれるといいのだけどと思いながら、借り入れをすることを考えていると夜よく眠れなくなる、という日が一晩だけあった。ただ、まだ救いはあって、「借り入れ」という言葉で考えている分にはそこまで悪くない。これを「借金」という言葉で考えだすとなんだかぞっとしてくる。同じことなのに不思議なものだ。だから結局すべての場面のそこここにサインがあって、私はそれを拾い上げながら涙を流したり、強く強く息を吐いたりするわけだった。人生を再び駆動させること。私にできるだろうか。昨夜の中継で初めてアディショナルタイムという言葉を知ったのだが、もうロスタイムとは呼ばないのだろうか。2010年、日本サッカー協会の審判委員会がロスタイムとは呼ばないことに決めたらしい。人生には空費時間なんてない、ということらしい。強くそう思う。


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