6月

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5球続けてだったか、6球続けてだったか、宮西の投じた直球なりなんなりを今成はファールにし、そのうちの2球が審判に当たった。一度はひどく強く喉の下のあたりに直撃したように見え、しかし実況や解説者がそれに言及することはなかった。今成は最終的にショートゴロでその打席を終えた。ゴロを捕った大引がそのまま2塁を踏んだか、セカンドの中島に放ったか、そのどちらかだった。先発の上沢が降りてからの日ハムはピンチ続きであり、誰が登板してもピンチを迎え、ようやく抑えたり、抑えられなかったりしていた。しかしダグアウトで戦況を見つめる上沢の顔はどれだけのピンチになっても妙に楽しげであり、それを見た私まで楽しい気持ちになってしまうほどだった。武田久のDNAを引き継いでいるのか、クローザーの増井はここのところいつでも塁を賑わせているように認識しているのだけれども、今日も簡単に危機的な状況を招き、どうにか同点で勘弁してもらう、というふうで試合は終わりそうな気配を見せず、私はテレビを消し、本を開いた。

先日人からいただいた小説で、作者の名前もタイトルも知ろうとしないまま読み進めていて、舞台は1950年とかのアメリカ、背がとても低く歯抜けで目が悪く吐血がち、ちょっとした異変にもビクビクしてどもりがち、とうてい信用できそうにない女に自分の素性と目的を簡単に晒してしまう、という特徴を持った殺し屋(腕利き)が、職業が物語る通りだけれども、人を殺そうとしている、という話だ。なんというか、出てくる女の様相もそうなのだけど、翻訳の言葉を荒くしていったらすごくなんというか「現代の……差別用語とされる……当時の状況を鑑み……芸術作品……原文のまま……」な感じにすごい勢いでなりそうな、何もかもが欠損している、という小説で、普通のミステリーを読むつもりで読み始めたのだけど、何かどこかおかしいことになっている気がしている。なんせ職務が遂行されそうな気配もない。

 

と、ここまで打ったところで放棄して眠ったのが昨夜のことであり、今日その小説は読み終えられ、解説を読んでいるとそれはジム・トンプスンの『サヴェッジ・ナイト』という小説だったということが発覚した。主人公は標的の住む小さな町に紛れ込んで情婦を作るわけだけど、ちゃんと町人らしく見えるように教師学校に行って授業を受けたりする、午後は斡旋されたパン工場で働いた、彼はいっしょうけんめいパンを作った、どうしてそこまでの、という熱意を持って業務に取り組んだ、その熱意の半分でも本来の任務に向けることができれば、彼はこれまでたくさんそうしてきたようにスムースに仕事を全うできただろう。ひどい、どうしようもない展開になっていく。それは非常に愉快なことだったし、読後感は清々しさすら覚えるようだった。私は満足して本を閉じた。

 

と、ここまで打ったあとにベランダに出て煙草を吸うと、私は黄色のアメリカンスピリットを吸っているのだけど、まるでなんか甘いフレーバーのついた細いやつとかあるじゃないですか、ああいうのを吸ったときのような奇妙な甘みが唇に残って、なんなんだ、これは、と愕然とした。それが少し前に飲み終えたコーヒーの影響であることは明らかで、なぜならそれ以外に要因が見当たらないからなのだけど、だから明らかで、それにしたって、こんな甘みは予期していなかったことだった。

今日、長い散歩みたいな物件探しの町歩きの途中に寄ったコーヒー屋さんで買った豆だった。なんの気なしに「じゃあこれで」と指さすと、値段これですけどと言われ、驚きひるみ100gのところを50gにしてもらって、というその豆は去年のカップ・オブ・エクセレンス3位というもので、先ほどがんばって丁寧に淹れて飲んでみたところ、飲んだことのないような味で、なんなんだこれは、というところだった。説明書きに「青リンゴ」とあったのだけれども本当にその通りの味がして、すごい、と思った。コーヒーじゃない飲み物を飲んでいるようだったし、馬鹿舌なのか、手放しで「美味しい!」とはなれなかった。難しい味でした。

 

そういうわけなので今日は散歩をし続ける日として記憶された、つまり何の成果もなかったし、いくらか食器を買った、素敵なカフェがあった、というところだったのだけれども12,3キロほど歩いたし、先日書いた通りにFIFAワールドカップのサッカーの試合をテレビで見るという流行りはすぐに廃れたので、今日も早く寝て、明日に備えたい。何一つ用事がない日々を生きるということは思いのほかに難しいもので、何を根拠に目を覚ましたらいいのかがわからないから長いあいだ眠ってしまい、一日が腐る。気がついたら人生も腐るだろうけれども、町は変わるところもあれば、十年を越えても変わらないところもある。意想外なものが変わっていないと、それは意想外なのだから当然のリアクションなのだけれども、えーまだあったの、と思ってびっくりする。あのろくでもない焼肉屋がいまだに健在とは、というところだ。町というか商売は不思議だ。

 

煙草を吸ってベランダから戻ってきた私は一目散に台所に向かい、金麦を取った。唇にまとわりつく奇妙な甘みを洗い流すためだった。すると3時間前のことが思い出された、というよりはほとんど3時間前のその時間の中に戻ったような感覚になった。家に帰ってきてテレビをつけるとちょうど試合終了のタイミングで、今日は大谷が8回を投げて1安打無失点という快投を見せたようだった。ダラダラと続いた昨日の試合で敗戦投手となったアンソニー・カーターが4点リードの9回のマウンドに上がり、ランナー2人を出しながらもなんとか抑えた。木こりのような容貌の大男カーターは、写真を見たこともないけれども『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローを彷彿とさせた。ウィキペディアを見てみたらソローは全然そんなふうではなく、むしろエイブラハム・リンカーンのようだった。リンカーンの画像検索の中にソローが紛れ込んでいても、どうしたんだろう、ぐらいしか思わないかもしれなかった。しかしアンソニー・カーターは9回を無事に抑えた。


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