汽車はふたたび故郷へ(オタール・イオセリアーニ、2010年、フランス/グルジア/ロシア)

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車から降りた若い女が迎えた男に引き上げられて窓から建物の中に入る。そこで3人だけの上映が行われる。というところから「やくたたず」あるいは「除外された人」というタイトルの映画が始まる。このときの車のエンジン音と、画面には映されていないけれど足元に水たまりでもできているらしくぴちゃぴちゃと鳴る音が妙に印象的に耳に響いて、それだけでなんとなくこれからの2時間への期待が高まった。

 

教室での音楽の授業、3人の子どもがつかまる汽車の流れ、ハモりだす3人、煙草に火をつける暗室、地下室らしき場所で酒を飲む老人と子ども等、少年時代を映したいくつかのシーンがとてもよかった。また、老人のダンスパーティーのくるくる、交わされる色目遣い、外に出ての殴り合いの喧嘩、この人たちは50年前からずっと青春を生き続けているのだろうなという顔つきが、画面全体に幸福感を与えていた。グルジアの街は音楽で満ち溢れていた。

 

ただ、これらは冒頭20分ぐらいのことで、窓から伝書鳩を飛ばす様子や、数十年前の話なのにフランスの駅の人々がイヤホンをして歩いている光景や、撮影現場やフィルム編集の手つきや、老いてなお気品をたたえるビュル・オジェの姿やラストシーンはよかったけれど、そう目をみはるようなショットもなかったし、全体に特にまあどっちでもいいかなというのが正直なところだった。

予告編とかつて見た『月曜日に乾杯!』の記憶から、なかなか好きなように映画は撮れないけれどそれでもなんだか陽気に生きています、からっとした色恋と素晴らしい友情と鳴り止まない音楽とともに、みたいな多幸感あふれるものを勝手に期待していたのだけど、思いのほかに低いトーンが持続していく映画だった。

 

それにしても、前も同じこと書いた気がするけど、『CUT』から始まり、『ヒューゴの不思議な発明』、まだ見てないけど『アーティスト』、そして本作と、映画に関する映画が同じ年に矢継ぎ早に上映されていく感じっていったいなんなんだろう。いよいよ、何かが終わろうとしているのだろうかというような無駄な勘ぐりをしてしまう。

 

『汽車はふたたび故郷へ』公開 オタール・イオセリアーニ インタヴュー | nobodymag

汽車はふたたび故郷へ インタビュー: オタール・イオセリアーニ 「映画は時間の中で流れる芸術」 – 映画.com

2012-04-09 – 『建築と日常』編集者日記

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