6月、下旬、トーキョー
2012年6月27日
6月に入って店のブログを始めて、それらしいことを書いて何か書いた気になって、そんなのは本当に唾棄すべき、自己すらも満足させられない満足の破片みたいなものでしかなくて、ただ虚しい日々が過ぎていく、というほどでもないというか梅雨はいいもので、雨が降り注ぐ景色を見ることは優しい。
打鍵すべき言葉などもはやなくなってしまって久しく、3日の休みを作って久しぶりにトーキョーに行ってきた。前日に重い腰を上げて高速バスを予約しようとしたら3列独立シートのバスは満席で、やむなく4列シート、4列のびのびシートですらなく4列シートを予約した。地獄が待ち受けていることは覚悟していたけれど、日曜の晩、仕事を終えて準備をしてビールを買ってバスに乗り込むと、思い描いていた以上にしんどい座席だったので朝が来るまでのあいだに尻がいかれた。耳で落語とブルーハーブを聞いていた。それらは夜行バスで、他に何もできない状況で聞くにはとてもいいものだった。
朝、予定より1時間ほど早く新宿駅についたのでせっかくの東京観光なので東京タワーに行った。大江戸線の乗り場に向かう途中で古書祭みたいなものをやっている広場に出くわしてしまい、たいへん時間をとられて結果的に『プルーストに愛された男』、蓮實重彦インタビュー本の『光をめぐって』、それからエリック・ロメールの短篇集とちくまの落語本を買った。古本ないし古書は私は基本的に買わないというか、偶然のめぐり合わせで本を買う、という習慣を持っていないので買わないし、なんせ、私にとって読書とは購入時につけてもらったカバーをはずして本棚におさめることで初めて完結する行為であるので、カバーがつかない古本は私にとっては重要な要素が抜けてしまうので敬遠してしまうのだけれども今回は並ぶ本に目を奪われ、その並び方に本への愛とか敬意とか間違えのない知識とか造詣とか、その他諸々、要は気分がよくなったのであれこれを買った。それが後であだになった。
曇り空のなかで赤と白の塔は高くそびえていて、外国の人の方が多いような印象だった。仕方がないから外国の人の肩をちょんちょんとつついてキャナイテイクアワピクチャと言った。後になって、キャナイってどういうことだ、ウジュであろう、と思い後悔をした。後悔をするなんて久しぶりのことだった。私は東京タワーから東京を見下ろした。どこが何でどうなっているのか、もはや何も知らなかった。
スカイツリーがどういった状況なのかは知らないし東京タワーがどのぐらい終わコンなのかも感覚としてはよくわからないのだけど、電波塔としての役目を終えた東京タワーにいることは、何か、奇妙な寂しさを私に与えた。天井に変な装飾がされていて、しばらく放置されている様子だった。タワーボーイズという3人組の男性アイドルのポスターを何箇所かで見かけた。終わコン感が素晴らしく助長された。
そのあと、東京には空はなくとも緑はそこここにあるものだと感心しながら下北沢に移動し、今回の旅行の目的というか端緒となったチクテカフェに行った。先日の晩に珍しくクウネルをめくっていたときに取り上げられていた店で、雑誌自体は2003年か2004年のものだったのだけど、そこでオーナーの女性がカウリスマキの映画に出てくるような暇な店をやりたかった、のだけど大人気になってしまって大変になった、というようなことを発言されていて、そのあとググったりしていくなかで、どんなにそれは素晴らしい場所なのだろう、と思って行ってみたかった。7月の半ばに閉店される、という情報も今回の旅行に拍車を掛けた。着くと、行列ができていた。平日の昼、私たちはけっきょく3時間半ぐらい並んだ。昼飯を食べに行って、並びに並んで、その間に半年かかったピンチョンをやっと読み終え、店に入ったのは4時だった。学ぶことがいくつもあった。カフェとは何なのか、考えた。それにしてもあの行列は気違い沙汰だった。カウリスマキの映画に出てくるような暇な店を思い描いて始めたオーナーの方は、あの大人気っぷりに対してどういう思いを抱きながら何年もやっていったのだろうか。どういう気持ちの遷移があったのだろうか。
そのあと三軒茶屋まで歩いて、大学時代、わざわざ湘南台から新宿までの定期を買ってまでして東京に行っていたけれど、けっきょく、行動範囲なんて限られたもので、それぞれの町の映画館に行く、その近くの本屋に行く、近くのカフェとか、スタバでも、本を読める場所に行く、たまにクラブに行ったり、ライブを見に行ったりする、というぐらいしかしておらず、そうなると必然的になのかはわからないけれども自分が利用する路線の路線図こそ頭に入れどそれぞれの町の地図上の位置などまったく知らないままに成長して、その帰結として下北沢から三軒茶屋まで歩けるということはついぞ知らないままだった。近かった。
けっきょく私がやっていたことは要約すれば湘南台から下北に出て井の頭線に乗り換えて神泉で下りてシネマヴェーラに行って映画を見てブックファーストまで足を伸ばして文化村の前のスタバでそれを読む、帰りの電車で続きを読む、という繰り返しだった。それぞれの町のことなんて何も知らない。
三軒茶屋では以前友人がたいへんおいしいから、と薦めてくれたカフェ・オブスキュラに行ってコーヒーを飲んだ。嫌な酸っぱさがまったくなく、まろやかで、好きな味だった。コーヒー通の人はコーヒーの良い酸味というのはとても良いものだと言ってくるけれど、おいしい酸味というのを私はいまだかつて知ったことがなくて、そんなことでカフェをやっている。
渋谷でいったん彼女とは別行動を取ることにして、彼女は吉祥寺に向かった。行き方と目黒までの帰り方を丁寧に伝え、見送ると、彼女は人の流れに流されて吉祥寺行きの各停に吸い込まれていった。その頼りない足取りと後ろ姿を見ているとなぜか胸がしめつけられるような気がした。途中の駅で気づき、急行に乗り換えた。そのあとハモニカ横丁の飲み屋に行って、人々のやさしさに触れた。私は一方で、目黒でビジネスホテルにチェックインし、そのあと友人と落ち合って飲んだ。賑やかなところでビールが数百種類はあろうかというところだったので声を張り上げた。出るころには喉が疲れていた。彼女と合流して安心した。
二日目、鎌倉に行き、キビヤベーカリーでこれまで食べた中でいちばんおいしいクロワッサンを食い、そのあと鎌倉ビールを飲み、ずっと浜辺を歩いた。海はもっと汚れていると思っていたのだけど澄んでいて、海の家が組み立てられている最中だった。海面が無数の光を放っていた。いろいろな人が戯れていて、自分もその一人であることはわかりながらも、この人たちは平日のクソ昼間からなんて素敵な時間の過ごし方をしているのだろうと思わずにいられなかった。鎌倉は彼女も気に入ったらしかった。盛んに気持ちいいと言っていた。ただ、主に本の重さにより、バッグを掛ける左肩がひたすらに痛かった。買った本に加えて、ピンチョンと保坂和志の『カフカ式練習帳』が入っていた。
ずいぶん歩き、タベルナ・ロンディーノに行った。大学時代から何度か行ったことのあるイタリア料理屋で、私は大好きだった。嵐の夜に同居人と同居人の彼女と行った晩は、何か、嵐の中の運転の感じや、三人でおこなう他愛もない話や、あるいは給仕のおじちゃんのプロフェッショナルで親しみやすい人柄が思い出され、今でもとても何か、こう、あれはもしかしたら大学生活の終わりが近かったのだろうか、それは覚えていないけれど、その夜は何か今でも琴線的なものを刺激する思い出だし、湘南台最後の夜に引越しを手伝いに来てくれた両親とも行った。父親の運転が記憶よりも荒くなっていた。そのあともまだ肌寒い海を散歩しながら友だちと行ったり、また元同居人と行ったり、何かと気分のいい時間を与えてくれた。いつか彼女を連れていきたいと思っていた場所だった。相変わらず混んでいて、席につくまでに少しだけ待った。大好きだったイカスミのスパゲティを食べ、ホウボウの蒸したやつを食べ、トマトとルッコラのピザを食べ、4種類の前菜を食べ、白色のワインを飲んだ。前菜を選びに立って指をさす行為が今回も好きだった。昼間から、なんて素敵な時間の過ごし方をしているのだろうと思った。
そのあと極楽寺に出て、成就院であじさいを見た。階段の向こうまで両サイド、ずっとあざやかな青や紫や白が咲いていた。その先には墓場があった。
うとうとしながら渋谷。白山眼鏡店でメガネ購入。本当は今掛けているやつを買ったJUJUBEEで買うつもりだったのだけど、前を通ったらお店がなくなっており、あーあと思って道を入っていったら素敵なメガネ屋さんがあって入ったら素敵なメガネがあったので素敵なメガネを買った。似合うよ、と彼女が言ったので買った。
新宿に出、友人に教えてもらったぼるがに行ってちょっと飲んで、それからバスに乗って帰った。帰りは3列独立シートだったのでよく眠った。到着まで、途中の休憩にも気が付かないほどで、4列シートとは雲泥というか天と地というか天が雲で泥が地だから違いはないだろうけれども本当にまったく居心地が異なった。4列と3列でそう価格の変わらないプランもあるので(今回はたしか4500円と5000円だった)、必ず3列独立シートを選択したい。