保坂和志/カフカ式練習帳
2012年7月5日
『カンバセイション・ピース』以来の長編小説らしいけれどそれは多分嘘で、『小説の自由』シリーズというのかあの一連の文章もやっぱり小説だったんだと今作を読んでみて確認した。カフカの断片みたいなものを、ということだけれど、私はカフカの断片は読んだことがないのでロラン・バルトの『偶景』をなんとなく思い出しながら読んでいた。そしてなんとなく、昔自分がノートにずーっと断片みたいなものを、それこそ偶景にならったような感じで書きまくっていたのを思い出した。思いついた場面、書き留めたい景色、気分、そういうのをひたすら書きまくっていた。ノートは決まって無印のA5だったかのリングノートで、たしかvol.13ぐらいまでそれは続けられた。いつからか終わった。vol.13の表紙にはたしか、向井秀徳のサインが書かれているはずだった。家のダンボールの中にある。
カフカ式練習帳
262ページ。
ここでキルケゴールの警告は注目に値する。いわく、真実は「無数の断片の浪費」を通じて姿を現す。体系的注釈や網羅的解釈の試みなど無益である。「完成した作品が詩人その人と何の関係もない」のとまったく同じで、「完成した」解釈は生きた書物が持つ、弁証法的、自己否定的ななまなましさを殺してしまう。(ジョージ・スタイナー『アンティゴネーの変貌』海老根宏・山本史郎訳)
この小説の感想は全部を引用するか、あるいは自分で同じようなことを書くのが最も適しているような気がするのだけど、猫のことや、子供時代のこと、電車内の人々、会話、何やらSF的な思考実験、それからいくつもの引用が、中にはセンテンスを終えるのすら放棄されてバラバラに散りばめられて一つの小説が形成されている。一つの小説がというか一冊の本がという方が合っていて、こうなると、小説を数える単位ってなんなんだろうというか、これを長編小説と呼ぶことは正しいのか、断片小説集と呼ぶべきなのか、その違いはなんなのか。
相変わらず何十箇所もページを折ったのでどこがどうだったのかよくわからない状態になってしまったけれど、ページを折るのは遡るためでもあるけれど、同時に「いいね!」みたいなもので、「面白い!」と思った痕跡みたいなものだから、本全体を通してたくさん折られていたらそれを何年後何十年後に見たときに「あー面白かったんだろうなー」とわかるのでそれはそれでいい。
本当に充実した断片集だったのだけど、特に深々とページが折られているのが162ページからのところで、ここはかなり長い部類というか一番長い断片じゃないかと思うのだけど、
彼が育った家は古く、庭には一年じゅう一度も陽が射さない一角もあった。最初に思い浮かぶのは庭の左半分のそのまた手前半分の、まわりが龍の髭で囲われて、まわりより少しだけ高くなった花壇で、夏の特に鳳仙花が咲いているときは蜜蜂が花の数よりも多いと思えるほど集まり、花壇の空間を不思議に緩やかで不定形な動きで飛んでいた。
夏の終わりには真紅の鶏頭が咲き、秋にはカンナが咲いた。白粉花が花壇のどのあたりに咲いたか記憶がないが、白粉花の茎の葉を花壇の脇にまるで掃き寄せたように少しこんもり重ねて落とし穴の蓋にしたのだから、白粉花がなかったはずはない。といっても、子供の掘った落とし穴は直径三十センチほどしかなかったが、母は彼の巧みな誘導によって見事に足をはめた。
白粉花は花壇でなくその脇で咲いていたのかもしれない。花壇の向こうは庭の南東の隅で、柿、梅、イチイ、珊瑚樹、棕櫚など丈の高い木が揃い、陽が射さなかった。下は落ち葉で被われ、一番置くに、ある秋大きな蝦蟇が棲みついた。入っていくと、蝦蟇はこちらを見上げて動かない。気味悪がった彼の母が追いたてようとしても動かず、スコップで足元を持ち上げてみようとしたが、うまく蝦蟇の下の土に入らない。子供の彼が替わってやってみると、スコップは蝦蟇の左の前足を切ってしまったが、蝦蟇はそれでも微動だにしなかった。彼の母はあきらめ、蝦蟇はひと冬そこにいた。春になるといつの間にかいなくなっていた。自分より年上だったのかもしれないと、いま彼は思う。
梅の木は太く真っ直ぐだったが、老木ですでに実はならず、大きなサルノコシカケが生えていた。梅の木は上りにくかった。柿は枝が折れやすいと言われ、上らなかった。しかし他所の柿には上ったに違いない。柿に上らなくとも、もっと危ないことはいくらでもした。一番端、というのはその一角の入り口だが、そこのイチイに上ると、イチイの主幹は平屋建ての家の屋根ほどの高さで伐られていた。
そこから横に三方に広がる三本の枝が彼にちょうどいい具合の腰掛けになり、彼はそこに座って長い時間、数軒先の山を見たり、空を見たり、山の上でゆっくり弧を描く鳶の飛ぶのを見たりした。人には必ず幼年期に内面を醸成する出来事や習慣があるのだとしたら、一時期毎日のように二時間も木の上で過ごした子供はどういう内面を醸成させたのか。
イチイの隣、というのはその一角の外ということになるが、イチイの隣は松で、松は地面からの主幹の傾きと主幹の細さと何よりも幹表面の鱗状の樹皮とあちこちについてる松脂が嫌な感じで、松に下から上ることはなかったが、イチイのてっぺんから移れば簡単で、松脂もつかなかった。松もまたてっぺんで主幹が伐られ、座るに適当な幹の広がりはあったが、やはり松は松葉が彼の体のあちこちを刺して、絶えずどこかがちくちくする。彼は早々に松から榧の木へと移るのだったが、この移動は真剣だった。
待つと榧の距離が遠いのだ。松の一番榧に近い幹というのか、松というのか、それはL字に曲がっている。これは体を伸ばす足場としてはちょうどいい。しかし、微妙に下に傾斜している。L字の角が一番榧に近いが、そこまで行くと足が滑って落ちる。現に彼は一度落ちたが、そのときは例の白粉花が、季節が終わったからか、それとも別の理由か、茎と葉が伐られてどっさり積み上げられていた。
あのクッションの感覚は今でも思い出せる。足が滑って体が宙にいた瞬間、恐怖はまったくないが、ダメだ!という、全身が突き落とされるような後悔と、その直後の受け止められたとしか言いようのない感覚。積み上げられた白粉花の茎の一本がまず左の鎖骨に当たり、それにつづいて背中全体が白粉花の茎と葉の山に吸い込まれるのが、彼にはスローモーションでなく、高速度の感覚でわかった。
白粉花があんなに高く積み上げられていたのは、後にも先にもあのときだけだ。母に落ちたことがばれないように、彼は慌てて白粉花の山を元に戻そうとしたが、途中で無理だとわかり、白粉花のやまと半日遊んでいたかのように、山に突撃したり、ドロップキックしたり、ひたすら山を壊すことに専念した。が、そのうちに、自分はなんてひどいことをしてるんだ、この白粉花の山は命の恩人じゃないか、と気がついた。
では、自分はこの山に対してどうすればいいのか。恩人に感謝をあらわすとはどうすることか。彼はその日の残り、日が暮れるまで、白粉花の茎と葉が積み上げられた山に埋もれることにした。気がつくと眠っていた。正確には、眠りから覚めると自分が白粉花の山に埋もれて眠っていたことに気がついた。
目が覚めてみると、寝心地は少しもよくなかった。どうしてこんなゴワゴワした中で眠れたのか、ともかく我に返ると彼は三時間前に戻って、イチイにのぼり、イチイのてっぺんでしばらくまわりを眺め、それから松に移ったが松のL字の枝なのか幹なのか、そこに注意深く足を載せて榧に手をのばすと、暗くて榧の枝と葉の見分けがつかなかった。すでに日没も空全体を茜色に染め上げた季節に何度もない見事な夕焼けも過ぎ、六時を知らせる寺の鐘も鳴り終わっていた。
こんな時間まで外にいるのに、呼びに来ないのは変だと思う気持ち半分、助かったと思う気持ち半分で家の中に入ると、母が炬燵に突っ伏していた。テレビも点けっぱなしだ。電気やテレビの点けっぱなしにあんなにうるさい母が変だ、と思って、肩を揺すると、母はまだ夢の中にいるみたいにぼんやりした顔で、
「チャーちゃんが木から落ちる夢を見てた」
と言う。彼はドキっとしたが、平静を装って、
「落ちてないよ」と言ったから、
「あなた、本当に落ちたのね」と、バレてしまった。母に知らせたのは、切られて積み上げられた白粉花の茎と葉なのか、彼がつねづねうっとうしいと思っている松なのか。
庭の右半分、ということは西の半分は芝生だった。それまで彼は、芝生と言えば低く絨毯のように庭を被うものだと思っていたが、彼の家の芝は雑草のようにぼうぼうと伸び、子供の彼の膝くらいの丈があった。夏は緑がとても濃くなり、寝そべるともわっと草の湿気が体を包み、気持ちいいわけではなかったが、夏にしかこうならないことはわかっていたから、これはこれでいいものだという風に思っていた。ということはやっぱり芝のあのもわっとした空気が好きだったのか。
そこに糸トンボが集まってきた。体長三、四センチで胴はとても細く動きがのろい。芝の葉先に止まっているのは当然のこと、飛んでる最中でさえも、簡単に胴は摘めた。が、簡単すぎるため、糸トンボを捕まえようなどと思わなかった。一度くらいはビニール袋にためた記憶があるが、一度だけだ。そしてすぐに放した。
しかし芝に寝そべっているだけでは子供には面白くもなんともなかったから、彼は糸トンボを摘んでは放した。木の上で過ごした時間と同じくらい、芝生で糸トンボを積んで放すのを木の上からずっと見ていた。上っていたのはイチイだったか、榧だったか。そこからは家の屋根の全体も見渡せる。後年、彼は家の建て替えのとき、彼の家族は隣家の、以前から人に貸していた二階を一時的に借り、そこから父と母は、自分達が十年住んだ家がどんなかたちをしていたのかはじめて目にして、しみじみと、というのは形でなく、目の前のその家がまもなく取り壊される感慨によるものに違いないが、しみじみと、「この家はきれいな方形だったんだねえ」と、夫婦で言ったのだが、彼はその形をよく知っていた。
それを言うとまた「どうして知ってるんだ。おまえはいったいどこから見たんだ」と追及されるに決まっているから黙っていたが、彼はよく知っていた。中学一年の秋、というか晩夏のことだった。その頃は考えもしなかった。中学一年にしては迂闊すぎる。だがまったく考えなかった。イチイも榧も屋根と同じ高さしかないんだから、屋根全体の形が見えるはずがない。しかし彼は間違いなく屋根の形をよく知っていた。
イチイのてっぺんから、あるいは榧のてっぺんから、彼は屋根の全体を見た。夏の午後、糸トンボを摘んでは放す彼を見た。午後に裁縫をしている母を見た。冬は陽足が長く、陽が部屋の奥までよく射し込んだが、夏は陽がとても高く、明るく強く陰影をはっきり出すので、彼には夏の方が何倍も室内が暗く感じられた。台所で夕飯の支度をする母も見た。
今になってわかるのだが、母は料理の手際が悪かった。いや、手際でなく手順が悪かった。鍋が二つあるのに一つしか使わない。節約で余熱にこだわるあまり、料理が止まる。卵の殻は庭の花の栄養になるといって捨てずにとっておき、そのための小さめの器をいちいち探す。他にも何か宗教的な儀式であるかのように手を休め、台所の窓から見える隣家の二階の屋根の向こうの山に当たる夕日の光にしばらく目を凝らす。
あのとき母が見ていたのは何だったのか。取り壊される寸前の家に入っていき、彼は母が立った場所に立ち、日没を待った。するとどうだ。ここら数軒の家の屋根で反射した日没の、黄色というより黄金色の光が、山の斜面の一本の、楠と思われる木に収束し、木が体を震わせはじめるではないか。木は身もだえし、ざわざわと葉が激しく揺れ、何十羽という小鳥が飛び立っていった。(P162〜168)
という箇所というか断片がとても好きで、ただの幼年期の思い出話にはとうていとどまらないあれこれの飛躍というか断絶というかがそこここにあって、不穏なことこのうえない。木の上の動きがうれしい。光がまぶしい。磯崎憲一郎のデビュー作のような。