アメイジング・スパイダーマン(マーク・ウェブ、2012年、アメリカ)
2012年7月20日
「取り返しのつかなさ」という言葉をどこで見たのか、たぶん1年以内でRSSに登録してたまに読んでいる映画関係の何かのブログだったんじゃないかと思うのだけど、なんでだか印象にずっと残っていて、映画を見ながらずっとそれを考えていた。
てっきりシリーズの4作目で監督も変わらずサム・ライミだと思って見に行ったのだけど、監督が替わってマーク・ウェブとなり、シリーズとしても最初からやり直し、という運びだったらしい。マーク・ウェブの名前を見たときなぜかミッション・インポッシブルのどれかの人かと思っていたのだが、そうではなくて『(500)日のサマー』の人だった。
それを踏まえると、あれはなんだったんだろうなと思っていた、ちょっと過剰なぐらいに切り返しまくるアメフトコートのスタンドでの二人の会話のシーンがなんとなく腑に落ちて、『(500)日のサマー』のラスト間近の、もう誰かと結婚したのかするのかのヒロインと主人公の男の会話の、取り返しのつかないシーンと酷似しているような気がしてくるし、ピーターとグウェンが決定的に近づきになる、ぎこちなく初々しくキュンスカする学校の廊下でのやり取りを捉える距離感にも、そんなの絶対あったよね、500日、という気がしてくる、不思議なもので。
それにしても家族や大切な人はちゃんと大切にしなきゃだめだよな、弔いは、しっかり済ませたのか? アンクルベンを死に向かわせる揉め事のくだりには、なんでだかものすごく泣いてしまって、なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだ、取り返しがつかなくなる前に、ちゃんと、あれしなきゃ、本当にいけない、という、なんだか、深く、ぐさりと、どうにもならない辛い気持ちになった。
しかし全編よく泣いた。バカみたいに涙腺を刺激され続けた。たぶんスローモーションの感じがそれを思い出させたのだろうけど清涼飲料水のマッチのCMを彷彿とさせる、まさに初々しい二人のやり取りとアンクルベンの死の間に挟まれたスパイダーマンになっちゃうぜヒャッハーというスパイダーマン的運動の練習シーンとか、キスしているところを母親に見られて照れてそれから仕事だ行ってくるとピータービルから飛び降りとか、子供を助けるくだりとか、子供の父親が今度はスパイダーマンを助けるくだりとか、怪我して弱ったスパイダーマンが一生懸命に飛翔を続ける姿とか、グウェンの父親で偉い刑事の方がグウェンに最後に語りかけるところとか、私はボロボロに泣きながら、なんでこんなに映画って素晴らしいんだろうと思った。こんな紋切り型が、なんでこんなに力を持つのだろうと。ただし、その力に、この作品に関しては3Dはぜんぜん与していないように感じた。もっと飛ぶところとかぐわーって「わー3D」という感じになるのかと思っていたけれど、驚くほどに3Dである必然性というか、3Dパワーのようなものを感じなかった。ただ単に視界が一段暗くなって、メガネonメガネがすごくずれやすくて、たまにちょっと立体的、というぐらいだった。
ウィキペディアを見ていたら、ピーターのアンドリュー・ガーフィールドとグウェンのエマ・ストーンが交際をしているとのことで嬉しいです。