7月、私たちの音楽
2012年7月20日
「何かいるって感じるってことは間違いなく何かいるってことでしょ」
次の日の夜、アンゴーで会った鹿田祐樹はそう言った。彼は潤沢な手持ち札からスペードの2を出してその場をいったん回収するとクラブとハートの4を置いた。しかし「あ、ちょい待ち、スペ3あるけ」と早島朝子が慌てた声を出し、鹿田は「おせーよ」と言いながらも素直に二枚の4を手札に戻して朝子に譲る。朝子は「ごめんちゃーい」と言って反省の色は見せずにエースを二枚出し、それは全体にある予感を与えた。「おいおい」国枝恒太はそれを口に出し、浮かべた笑みは全員の気持ちを代弁している。朝子は得意そうな顔をして「ジャジャン」と言いながら6を三枚出した。予想を覆された文箭あかねは「逆じゃろ順番」と笑い、朝子は「切れりゃ何でもええんよ」と言って、誰も出さないことがわかると「かくめーい」と、満を持して10を三枚とジョーカーを出して嬉々とした。「はよ捨て」諦めた顔で国枝が朝子にうながし、朝子は自分の番が続いていることを忘れていたらしく、「あ、そうか」と言ってから最後の一枚を出して「大富豪」と言った。「こりゃ勝てないよ」と藤中が言って、それから「あれ、恒太さん、10捨てで上がるのってオッケーでしたっけ?」と質問を行ってそれが構わないことを確認すると「てか10って三枚ってそれだけで六枚消化できるわけじゃからすごいよなあ」と改めて感心した。「ええからはよ出せや」と国枝は苦笑しながら促し、「ああすいません」と言ってからも藤中は何を出すか迷った。
「ふじっこさあ、それは女っぽい感じなの?」鹿田が話を戻して、ゲームに気を取られていた藤中は最初何を聞かれているのかわからず「え」と言っただけで、それからやっと決めたキングを二枚置き、「なんで長考必要だったん」と国枝に突っ込まれたのちに「女の人っていう感じじゃな。あれは女性じゃ」と鹿田の問いに答えた。「呪縛霊じゃろうか」あかねはスペードのジャックを出しながらつぶやく。「ジュじゃなくてジ。地縛霊」と鹿田はスペードのクイーンを出すと場を切り、「えなんで」と言う朝子に「Jバックアンド激シバ」と返しながらハートのエースを置いて、あかねが「どっちでもええんじゃっ」と口をふくらました。国枝はクラブの3を置く。「呪縛じゃね?」と言い、ダイヤのジャックを置いて上がった。「え、地縛ですよ」鹿田は煙草を抜いて火をつけて反論するが「呪縛じゃろ」と言われ、あかねは「ほらアキラ」と国枝に便乗した。「呪縛なんじゃって。間違いも認めないとな」「いやいや地縛だって」「だって霊が自爆っておかしかろう」「そうじゃそうじゃ」「いやジバクって自分で爆発じゃなくて自分で縛るですよ」「言い訳ばあしよって」「セルフSM」「いや言い訳って」「てかどっちでもえかろう」「当事者がそう言うのであるならば」「あ間違えた。自分で縛るじゃなくて地に縛られるだ」「チって?」「地上波のチ」「どっちでもえかろうどのみち間違っとるんじゃから」「いやいや地縛で合ってるって」「少しは人のことを信じなくっちゃね」ゲームに負けたのは鹿田だった。あかねは「バチが当たったんじゃー」と追い打ちを掛けるように言ってきて、鹿田は笑って対応しながらも自分がいじられている状態が珍しく、それを新鮮に感じていた。新たな客が来たのであかねは仕事に戻っていって、代わりにカウンター席で漫画を読んでいた大学生の千葉悟が入って「俺平民っすか?」というのが最初の一言となった。
「前に話したじゃろ、工場みたいなとこにカズマ入っとった話」と配られた手札を見ながら国枝は鹿田に向けて発言した。「カズマ入っとったじゃのうてカズマと入ったじゃ」「ああ、あれっすよね。図書館というか膨大な本があったやつっすよね」目元に笑みを浮かべながら応じる鹿田に朝子は「なんでニヤニヤしよるん」と言い、鹿田は「勝てそう」と表情をさらにゆるませ、千葉が「また革命起こせばいいんですよ」と朝子に対策を伝えると「盗聴?」と言われるので「あんだけ騒いでたら嫌でも聞こえますって」と無精ひげをなでた。「ああ、で、またなんかあったんすか? 死体見つかったとか?」鹿田が言う。ゲームはなだらかに始められ、今度は穏やかに進行した。
「もっかい入ってみたんよ。前行ったときは一つしか部屋入らんかったって言ったじゃろ。じゃから他の部屋も見てみよう思ってな」と国枝が言い、藤中が出したスペードの9のあとに千葉がカードを出そうとしたのを見て「9リバじゃからピョコの番じゃ」と注意をした。朝子もそれで自分の番であることに気づいて「複雑すぎてわからんよなあ」と千葉に同情を寄せ、千葉は千葉で「9リバってのは初めて聞きました」と素直にうなずいた。「そんで今度は何があったんすか?」鹿田が煙を上方に吐き出して言って、すると携帯電話がポケットの中で震えたらしく取りだしてディスプレイを見ると「やべ」と立ち上がり灰皿で煙草を揉み消すと「すいませんちょっと仕事の電話。ちょっと待ってて」と言って店の隅に行って快活な通話をおこなった。
一時中断となり、喫煙者たちは煙草に火をつけ、藤中は水で口を湿らせた。「アキラってサラリーマンなんじゃなあ」と国枝は改めて知ったという口ぶりで言い、それに対して千葉が「アキラさんて何の仕事してるんですか?」と質問し、「なんか人材サービス系? とか言いよったな」と答えるとそれまで掛かっていたフェネスの『Endless Summer』が終わって新たにトークデモニックの『Eyes at Half Mast』が流れ出し、それを契機にして店の扉があき、若いカップル客が入ってきた。二人はトランプを持って煙を吐き出している国枝たちのテーブルに一瞥をくれてから奥まったところにあるソファ席に座った。
鹿田が「いやーすいませんお待たせしました」と言って戻ってきて、朝子が「受注した?」と聞くと「そういうんじゃない」と真顔で答えたので朝子は少し失敗したと感じた。「そんで何かあったんすか? 話戻しますけど」と言ったのは藤中で、「そうじゃそうじゃ、そうなんよ」そう言ってから国枝は情景の描写を始めた。それによれば残り三室のうち二つに入ることができ、一つは音楽スタジオ、一つは逢引き部屋ということらしかった。スタジオには広くない空間の中にところ狭しと多彩な楽器や録音機器が設置されており、ギター、ベース、ドラム、シンセサイザーはもちろんのこと、タブラとシタールとディジュリドゥ以外はわからなかったのだが普段はあまり見慣れないような民族楽器も多く置かれており、半ば楽器の博覧会の様相を呈してさえいた。入り口近くには図書館部屋と同じようにノートが一つ置かれて利用状況が記録されていて、週に二から三ほどの利用があるようだった。一方で逢引き部屋の方は中央にダブルベッドが一つ置かれているだけの簡素な作りで、他にあるものといえばティッシュボックスとゴミ箱と灰皿だけで、プライバシー保護の観点からか記録用のノートなどはなく、それでもなお、多くの二人組が演じた睦み合いを想起させる何ものかがそこには強くたちこめていた。 「それ匂いとかこもらないんすか?」と鹿田が尋ねたし国枝もそれについては疑問に思っていたのだが、閉め切られて光も入らない部屋であるにも関わらず不思議と汗や体液の香りが充満しているとうことはなく、薄いエメラルドグリーンのシーツも枕も皺一つない状態に保たれてむしろ清潔な印象を与え、国枝自身、これは非常に快適にセックスすることができるだろうなと思ったほどだったのだが、営みの痕跡と呼べるものの消えた部屋の中にあり、踏み入れた瞬間、このベッドの上で無数の人々が絡み合っているということが確かな強い感触として国枝にはわかったのだった。それは「なんでかようわからんけどどっと押し寄せてきたんよな、何か実態とかないんじゃけど、どーっとこれはなんか知らんがそれじゃっていう」という、説明する言葉を見出しきれない感覚らしかった。話しているあいだにまた一ゲーム終わった。今度は藤中が大貧民となり千葉が大富豪へと成り上がり、「出世しました」と発言した。
それからまた鹿田が「掃除したりしてるのって片目の女なんじゃないですか? 前言ってたドアちょっと開いたっていう部屋の」と思いついたことを話して、「え、片目じゃったっけ?」と朝子が裏返った声を出したのでみな笑ったし朝子も恥ずかしそうに顔をしかめて笑う。カードを切って配る役割の藤中の手は止まったままだが周りもトランプ遊びにひと心地ついたらしく、誰も早く配れとは突っ込まなかった。
今日、ほったらかしにしていた「私たちの音楽(仮)」という小説の手直しを数カ月ぶりに再開したのだけど、久しぶりにかつて自分が書いたものと対峙してみたら存外に面白かった。命名の儀など馬鹿らしいと昨日書いたばかりにも関わらず、命名されまくった人物たちが好き勝手に話している様子は活き活きとして、私にとっては読んでいてエキサイティングなものだった。私にとっては、というエクスキューズが他人の視線を考慮してのものであることは自明のことだけれども、そもそも、何をもって小説を書くのかといえば、自分が面白いと思える小説を作り出すためなのだから、そんなエクスキューズは本当は要らない。私が面白ければそれでいい。
とは言いながら、できれば人にとっても面白いといいなというのはやっぱりこれも正直なところで、だから多分貼り付けてみたんだろうし、何か、ジャッジらしきものが発生すればなおのこといいと思っているのは間違いない。
ところで、この小説が書きだされたのは2010年の2月のことで、500枚ほど(原稿用紙換算。一般的な単行本だったら300ページぐらいじゃないかと)を1年とちょっとで書き終えてから、店を始めたこともあり、それを言い訳にしていたこともあり、友人の手を借りて修正をし始めてから優に1年が過ぎ、いまだ終わっておらず、情けない限りなのだけど、舞台となっているのは2009年の夏からの岡山で、そのころと今とで大きく変わってしまったことがある。それはスマートフォンの普及で、2009年の夏は私がスマホを買った年で、その頃の岡山においてはスマホを持っている人なんて周囲にほぼいなかった。当然ながら今はほぼスマホという状態なので、カチカチとガラケーのボタンを押すくだりについては大きな違和を覚えるし、いっそスマホに書き換えてしまおうかとも思ったのだけれども、まあいいやとなっている。なんの話をしたかったんだっけか。