8月、see you next year?

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友人たちの記すフジロック日記であったり感想であったりが忌々しくて仕方がないなりに読んでしまう自分もいるわけで現在に関しては過度の飲酒のために口が乾いている。私の過度はビール4杯で達成される。また来年、see you next year、スィーユーネクストイヤー、ジュヌセパ、知るか、サリュー、サリュー、サリューあるいはアデュー、アデュー、アデューという気分だけれども、孤独だけが強くなる。すべての光景がクリアに見える。どこに記されているどの光景も、私には全部見える。そこでこうなって、あそこでああなったんだよね、その砂利道の感覚、乾いた太陽の喜び、耳と体を圧する音、グルーヴ、何十回目の乾杯、全部わかるつもりだよと思う。口が気持ち悪い。体が弱っているのか、昼にオムライスを作りそこねて出来たスクランブルエッグを食べて以来胃が気持ち悪くて、今嘔吐してもいいと言われても私はそうするかもしれない。フラク・ポーセージかポセージと思っていたらamazonだったらフランク・ポーザージ、Wikipediaだったらフランク・ポーゼイジ、どれが正しいのかわからないけれど、私だって彼の『第七天国』を見たい。アテネフランセで、それを見て、それと一緒に見たのはリリアン・ギッシュの『風』だったか、それはまた別の日だったか、忘れたけれど、見終えて、呆然の体で、廊下を進んだところにある喫煙スペースで落ち合った友人たちと「あれは、いったい、なんだったのか」というか「あれはwwwいったいwwwなんだったのかwww」みたいなトーンで興奮の口吻を飛ばして、それは、私にとっては人生で一番いい時間の一つだったのかもしれない。人生において一番いい時間なんてたくさんある。苗場だってそうだろうし、店をやっている中でのあれやこれやの時間だってそうだろうし、素晴らしい映画を見たときあるいは見ているその時間だってそうだろうし、とにかく、そういう、素晴らしい時間をたくさん過ごせればそれでいい。タベルナ・ロンディーノでパスタを食べている時間だってそれかもしれない。『オープニング・ナイト』を見ていた時間だってそれだろう。クソみたいだ。消えてなくなってしまいたい。ヴァニッシングポイント。羊皮紙みたいな、そういうイメージが好ましい。ヴァニッシュという響きがとてもいい。シャーって消えていく感じがする。砂になる。とか言いながらしょうもないこの生とおさらばできるほど私の人格はできていなくて/崩壊していなくて、もはや、何が正しいのか、そんなのは全部わからない。こんなくだらない日記はフェイスブックで「ブログ更新しました」とかやらない。ほとんど見も知らぬ人が文章も読まないのに「いいね!」とかつけてきたらアホらしくて仕方がない。フェイスブックに居場所なんてない。激安の共感なんて犬に食わせればいい。しょうもない社会性なんて禽獣に食わせればいい。世界を嫌悪し、ヘイトし、同様の力で羨望し、切望する。犬に食わせればいいのは俺なのかもしれないね。


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