1月、金沢、泉鏡花
2013年1月2日
金沢では木津屋旅館という宿に泊まった。目の前を浅野川が流れた。一日の多くの時間を雪が降りしきる日だった。夕刻に宿に入り、東茶屋街を歩いた。ゴーシュというカフェに行くことが目当てだったが、不運にもこの夜は貸切営業とのことで引き返した。茶屋街は静かで、通りの両脇でぽつぽつと灯るあたたかい色のあかりが眼に心地よかった。まっすぐに宿に戻ることはせず、中の橋を渡っていった。川は勢いよく流れ、雪が照らされていた。私たちは傘を持っていなかった。愉快いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いや、と泉鏡花は明治30年、「化鳥」で書いた。笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行くのは猪だ、と。それは鏡花にとって初めての口語体小説とのことだった。高校二年の国語の授業で、ほとんど一学期すべてを費やしてこの小説を読むことがされた。そのときの国語の教師はずいぶんと灰汁の強い人で、生徒たちはその苗字のあとにイズムをつけた名称で彼を呼んでいた。私のイズムなんかではないんだ、と教師はいつか言った。私の考え方はフロイトと柳田国男の影響のもとにある、というようなことを言っていた。それがどんなものなのかは、どちらの著作も読んだことのない私にはいまだわからない。
教師は長い時間を掛けて、丹念にテキストを追っていった。私はその授業が大好きだった。結果、テストでは高い点を取り、一部でそのイズムを継承するものとして愉快がられた。私も愉快かった。三年生になり、選択授業としても彼の授業を取った。題材は村上春樹の『風の歌を聴け』だった。やはり愉快く授業を受けた。学期末のレポートはレオス・カラックスについて書いた。拙い、いま見返したら恥ずかしさで死にたくなるであろう10000字のテキスト。
金沢の夜、浅野川と中の橋が舞台になった鏡花の小説のタイトルは思い出せなかったが、茶屋街や主計町のあたりを高校二年の研修旅行で歩いていたであろうことは意識にのぼった。とは言え自身が経験した光景としてはまるで思い出せず、すべてが初めて遭遇する景色のように思えた。それでも、鏡花を読んでいて、何かそれに関する課題が出された研修であれば歩いていないわけがないのだろう、ということで、これは初めての風景ではないはずだと知っていた。しかし目に飛び込んでくるのは、どこを歩いても初めての風景だった。
今日、改めて気にかかり、青空文庫のアプリをわざわざ落とし、タイトルをずっと追っていくなかで「化鳥」に行き当たった。ちょうど十年ぶりぐらいに読んだその小説は恐るべきものだった。少年と母は一文橋と呼ばれていた橋で、橋の通行料を取ることで生計を立てていた。それが今でいう中の橋ということだった。ただしこれは天神橋ではないのかという別説もあるという。少年は、人間よりも花や獣のほうが美しいという。
人間がもっとも気高い生き物だという教師に、あなたよりも花の方がよっぽど美しいと言う。人の笑うのを見ると獣が大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。赤い口!と国語教師はいつもにんまり笑って喜んだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない、と言う。ただ、その秘密を知っているのは少年と母だけだった。人に踏まれたり、と唐突に記述に緊張が走り、言葉が奔流する。人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣めと始終そう思って、五年も八年も経たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡んなすった、父様とこの母様とが聞いても身震がするような、そういう酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、悲惨なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出を交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫の衣服を天窓から被ってみたり、叱られて遁げ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣だの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時は鬱ぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。
十年ぶりに出くわしたこの文章を読み、なんなんだこれは、と戦慄を覚えた。目眩を起こさせるような文章だった。
カラフルで、書き手の立ち位置がセンテンスの中でさえ頻りに変わっていくような、こう言ってよければとてもドープでグルーヴィな文章だった。「グルーヴィ」、ピンチョンは『LAヴァイス』のなかで何度もこの言葉を登場人物に言わせている。「俺、ゾームやってるんだ」「グルーヴィ」「建設業で、ゾームの設計と建築が専門なのよ。ゾームってのはアリゾナ多面体ドームの略。バッキー・フラー以来の、建築界最大の進歩だ。見せてやろうか」そう言うのはリッグス・ウォーブリング。スローン・ウルフマンの仕事上のパートナーであり、おそらく愛人であろうやたらにガタイのいい男だった。また、合いの手として「グルーヴィ」と言ったかのような引用をしたが、それは捏造されたものだった。実際には「えっと、今なんて?」という言葉が挟まれている。それはともかく、彼はどこからともなく方眼紙を持ってきて、数字やギリシャ文字っぽいものを使いながら図案をひき始めた。そしてやがて「ベクトル空間」や「対象群」について滔々と語り出した。ドックの脳内で歓迎できない何かがデキモノのように膨れていったが、図形自体は、見た感じ、ヒップだった。「ゾームは瞑想空間としても最適でさ」とリッグスが続ける、と続けられた。いま私はそのゾームの中にいて、瞑想に似た眠りのなかに吸い込まれそうになっている。つまみを回し、もっとも高い温度に設定した。
そうしているうちに、こうやって打鍵しているうちに、眠気が一切合財を持っていこうとする。「廉」と呼ばれる少年の振る舞いを見ていると、『ポーラX』において、路上で殴打されて死んだ少女のことが思い出された。まだ幼いその少女は通り過ぎる人を見ながら「豚」「売女」みたいなことを言っていた。誰にでもそう言っていたわけではなく、それは選別の作業だった。鮟鱇にしては少し顔がそぐわないから何にしよう、と少年は、でっぷり太った紳士を前にして考えを巡らす。何に肖ているだろう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがって、上唇におっかぶさってる工合といったらない、魚よりも獣よりもむしろ鳥の嘴によく肖ている。雀か、山雀か、そうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思いあたった時、なまぬるい音調で、「馬鹿め。」と言われてしまう。貧乏な家族、死との遭遇、めくるめくトリップ。羽の生えたうつくしい姉さん。その正体は「芸能人格付けチェック」に出ていたアナウンサーだったのかもしれないし、もしかしたらシャスタ・フェイ・ヘップワーズだったのかも、あるいはカテリーナ・ゴルベワだったのかもしれない。そうじゃない、と言い切ることは誰にもできない。
1月3日未明、12月31日の同じ時間帯に起きたのと同じ通信障害がauで発生した。31日の夜はインターネットの情報だけを頼りにアブストラクトなトーキョーシティを彷徨っていた私にとって致命傷となった。どこに行けばいいのか皆目見当のつかない状況に陥り、ハブでギネスを一杯飲んだあと、ネットカフェであるところのバグースに泊まることになった。3日の未明、栃木県北部のこの町にある唯一のゾームに滞在していた私は、インターネットの利用ができないことによりゾーム内の電源を切るのを忘れた。明け方、火があがった。乾燥した空気と、ちょうど家並みの続く南方向への風の不幸な組み合わせにより、町は火にのみこまれた。シブヤは炎上するか?かつて向井秀徳は聴衆に、あるいは自身に問うた。この火が南へ南へと下り、シブヤを含めすべての町を焼き尽くすのも時間の問題のように思われた。