2012年ベスト、映画
2013年1月10日
- 『Playback』(三宅唱、2012年、日本)
- 『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ、2011年、フランス)
- 『愛の残像』(フィリップ・ガレル、2008年、フランス)
- 『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八、2012年、日本)
- 『アメイジング・スパイダーマン』(マーク・ウェブ、2012年、アメリカ)
- 『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン、2011年、アメリカ/スペイン)
- 『ピナ・バウシュ 夢の教室』(アン・リンセル、2010年、ドイツ)
- 『戦火の馬』(スティーブン・スピルバーグ、2011年、アメリカ)
- 『CUT』(アミール・ナデリ、2011年、日本)
- 『ヒミズ』(園子温、2011年、日本)
2012年に映画館で見た新作映画から10作。最後に見た順番。
しかしそもそも、ベスト、というときに新作映画という縛りを掛けるべきなのか、旧作を入れてはいけないのか、そして劇場で見たという縛りを掛けるべきなのか、DVDではダメなのか、その作品と初めて出会った瞬間こそが各人にとっては新作であるはずで、等々思うところはあるけれど、まあなんとなくやっぱり新作、劇場にて、というのがスマートかなと、結局そう思うのでそういう選別。
それにしても、2012年は何をおいても『Playback』の一年だった。春頃からその作品の情報をチラチラと見かけ、7月、ロカルノへの正式出品の知らせに否が応でも期待が高まり、9月の先行上映で京都に駆けつけた。何か途方も無いものを目撃してしまったと驚き、おののき、愕然とした。年末に渋谷でもう一度見た。初見のときはそんな余裕もなかったのか、二度目に見た高校時代のシーンでは涙がどんどんとあふれていった。取り返しのつかなさと、まだ取り返せるかもしれないという希望と。
京都、渋谷で見た。次は岡山で見られるものと期待している。
また、『Playback』を経て、それまでは「おしゃれな人でしょ」というぐらいの認識しか持っていなかった村上淳という俳優への信頼に似た感情がやたらに大きくなっていった。先行上映時のティーチインや、いくつかの場所で見かけたインタビューでの言葉を追ううちに、あらまあ、こういう人が必要なんじゃないか、こういう、等身大の言葉で映画や映画にまつわる状況について話せる人が、とどんどん好きになっていった。
三宅唱という作家がこれからどんな作品を撮ってくれるのか、村上淳という俳優がこれからどんな演技を見せてくれるのか、そして日本映画はどんなことになるのか、素直に楽しみにしていきたいです。
その他の9作もどれも私にとって様々な形でアクチュアルに響くものばかりで、これらの映画に立ち会えたことが嬉しい。ヴァレリー・ドンゼッリの奔放さに、ローラ・スメットのおばけっぷりに、高校生たちの息苦しさとゾンビたちの反逆に、橋本愛の平手打ちに、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンが立つ甘酸っぱい廊下に、そして二人が交際しているという嬉しいゴシップに、ウディ・アレンの痛快な不毛さに、若者たちの戸惑いや羞恥の姿に、そしてそれに打ち克ち躍動する体に、媚態に、ただただ、馬が馬としてスクリーンを生きるということに、西島秀俊のタフネスに、連呼される映画たちに、連呼される「住田」の声に、二人が走る早朝の土手道に、私はしたたかに打たれ、多くの場合に多量の液体を目からこぼした。
また、新作では他にも『ドラゴン・タトゥーの女』『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』『灼熱の肌』といったところがよかった。旧作では岡山で見られたアンゲロプロスの『霧の中の風景』や、大阪で見たカサヴェテスの『オープニングナイト』や、年末に渋谷で見たファスビンダーの『マルタ』『マリア・ブラウンの結婚』『ローラ』、そして国内最終上映となったトニー・スコットの『アンストッパブル』をバウスシアターにて爆音で。この映画で一年を締めくくれたことは本当によかった。
しかし2012年はけっきょく91本の映画しか見ていない。劇場で見たのはそのうち41本。1月から順に11,10,5,2,2,9,5,9,17,7,4,10という鑑賞数で、店でてんやわんやの時期とは言えど半ばのひどさが大変に残念。まるで見る気になれない時期だった。店を始めた2011年が全部で49本だったということから考えれば中々の成長とも言えるけれど、今年はせめて100本は見たい。そして一本一本ていねいに見たい。