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2012年3月23日
ほらまた、また更新しようとしている。理由はたぶんたった一つで、一つでも多くの記事を作成することでブログらしい体裁を整えたい、というところなんだと思う。アーカイブを見て、こんなに記事がたまったと喜びたいだけなんだと思う。極めて馬鹿らしいが、馬鹿らしさに真理が宿ることだってある。が、これは真理とはまるで関係ない。
大学時代のブログの更新頻度が常軌を逸していたようなことを数日前に書いたような記憶がおぼろげにあるので実際どんなものだったのだろうと、今数えてみたところ2006年9月11日から2008年3月31日までの567日間に338回の投稿をしている。パーセンテージとしては59で、3日あれば2回はブログを書いていたということだ。文字数に関しては正確なところはわからないが期間中の任意の10記事から出した平均は3396字で、そこから導かれる総文字数は1147848字、新潮文庫の1ページ最大文字数738字で割ると1555ページ。1年半ほどの期間で300ページの文庫だったら5冊分となる。そのエネルギーはいったいなんだったのだろうか。
日記らしく。いや、日記であるつもりはないのだけど、日記らしく。
今日は店が休みでした。今月は木曜日を休むことにして毎週1日ちゃんと休めてうれしいねと言っているのだけどそれにしても毎日遅くとも10時から24時半ぐらいまで、1日14.5時間×5日+日曜8.5時間(10時から日の入り、今は18時ちょい)=81時間、それが4週で月324時間。サラリーマン時代がだいたい8時半から平均20時半ぐらいまでだったから一日12時間×5日で60時間、月240時間だったので100時間近く増えていることになる。100時間っていったいなんなのか、単位とそれに付く数字が印象として乖離していていまいち現実味がないのだけど、映画にしたら50本、と考えるとおそろしいというか映画見たい。というところにもなる。とは言え飲食だからお客さんが来られなく仕込むこともなければ本を読んだりネットを見たり煙草を吸ったりあるいは寝たり、好き勝手に振舞っていられるから緩急の問題とも言えるけれども、だからと言って意識としてはいつお客さんが来られてもおかしくないから張ってはいるわけで、まあ、それは疲れるだろうなと思う。
まあそれで、日記らしくいくとすれば今日は店が休みだったため、起きたらマイスイートハニーが洗濯を完了させてくれていたところで頭が本当に上がらなくて、それはそれとして昼は雑穀米有機野菜なところで極めてうまいご飯を食べ道すがら見つけたレコード屋で著作権切れ名画系DVDを買った。バスター・キートン3枚、ルノワール2枚、溝口1枚。見るの楽しみ。そこからはひたすらに買い出し等にいそしんだ。リサイクルショップで増設するフロアーのための家具、ホームセンターで排水管の詰まり取り、スーパー、卸していただいているコーヒー屋で豆、またスーパー……
腹が減り、マックのドライブスルーでポテトとナゲットを買い食いながら映画館へ行くが、マックから映画館までの距離が近かったので立体駐車場に停めた時点ではまだ食い終わっておらず、エンジンを切った車内で二人ポテトとナゲットをむさぼった。それは一抹のわびしさを私に与えた。わびしさは私にとってはわりとオブセッションでものすごく回避したい感情だった。忌避といって差し支えないのだけどなぜそんなに嫌なのかはよくわからない。風邪引きで学校を休んだ日に見る昼のテレビとか、スノボー帰りの寝静まったバスの窓に流れていく風景とか、空になったコンビニ弁当とか、わびしさはどこから湧くのか、どんな共通点を持っているのか。ちなみにコンビニ弁当のわびしさは回避できるので私は絶対に食べない。何があろうとも食べない。貫かれる絶対菓子パン主義。
マック、上映前の時間でスタバ、シネコン。資本主義の権化のような一連の流れの中でスピルバーグの『戦火の馬』を見てきてその感動は前の記事で記した通りだけど、本当に、あまりによかった。映画館で見るべき映画だった。もはや、映画を見て、あるいは本を読んでそれを結果としてブログに書くのか、ブログを書くためにそれらを体験するのかわからなくなってくるのだけど、「そうだ、映画の感想をあげよう」という気持ちのもと近くのオシャレなカフェに行って先ほどの記事を書いた。ビールのかたわらにPCを置き、煙草をくわえ、イヤホンをして、いいのかな、オシャレなカフェでこういう振る舞いをして、「傍若無人な人だよ」というような類の悪い噂でも立たなければいいけどな、と恐々としながらカタカタと打鍵を繰り返していた。そして帰宅し、なおもこうやって打鍵する私はいったい何をしたいのだろうか。本当に、いったい何をしたいのだろうか。間違いなく、絶対に、絶対に更新頻度は元通りに戻るだろう。つまり月に1か2の投稿をかろうじてするというところで、どうせそうなる運命ならば潔くそうすればいいではないかと思うのだが、冒頭に申した通りとりあえずのところ記事数を増やしたい、その一心で私は生きています。