映画と恋とウディ・アレン(ロバート・B・ウィード、2011年、アメリカ)@シネマクレール
2013年1月16日
『ミッドナイト・イン・パリ』を見たときにも同じようなことを書いたけれどもウディ・アレンは私にとってやたらに重大な作家であり続けていて、特に『アニー・ホール』や『ハンナとその姉妹』『マンハッタン』などに陶酔していた大学生の時分に「あなたの好きな映画監督を3人挙げてください」と言われていれば「ウディ、ウディ、ウディ」と答えていたに違いない。そういった気分が落ち着いた今でさえ、「あなたがもっとも好きな映画を1つ挙げてください」と言われれば散々迷った挙句に「もっとも好きな映画の一つとして『アニー・ホール』を挙げることは可能だと思います」というような煮え切らない返事をする可能性は十分にあるだろう。大好きだ。
そんなことなのでこのドキュメンタリーも見逃していい理由はなく、実際、大いに感動したわけだった。何に、と言えば実に単純で、『アニー・ホール』や『ハンナとその姉妹』や『マンハッタン』、あるいは『カメレオンマン』や『カイロの紫のバラ』、『ラジオデイズ』といった、かつて私が大いに好んだ作品たちの画面が映されるところに、であって、ウディ本人含めた様々な人のインタビュー映像で感動、というようなことではなかった。要は、切り抜きを見ながら「あーここでこういうこと言うんだよな、ああそれそれ」とか思いながら、気づいたら涙と鼻水で顔の半分ぐらいが妙に湿っていた、ということだった。つまり、改めてそれらの作品を見ればいいんだよな、ということだった。
やはり、というかそれにしても、というかダイアン・キートンの笑顔は本当にキュートだなと、様々な作品で彼女の姿が映されるたびにその思いを強くした。今では総白髪で、あのときのあどけなさとは対照のゴージャスな貴婦人という風情だった。それはそれできれいだった。
また、マリエル・ヘミングウェイの顔貌の変わらなさはなんなのだろうか。あの素晴らしいセリフ、「You have to have a little faith in people」をつぶやいたあの顔が、30年を経てほとんど変わらずに維持されていた。それはそれで感動した。
それにしても、彼の作品をちょこちょこと解説してくれる映画批評家と名乗る人たちの発言の一様の退屈さはなんなんだろうか。一つも面白くない解釈や批評を、どうしたらあんなに自信満々に語れるのか。それから昔の写真のがさつでチープな見せ方はなんなんだろうか。なんて安っぽいんだ!とほとんど唖然として、こんな人にウディ・アレンフォントであるところの「EF Windsor」を使ってほしくない、みたいな腹立たしい気持ちになったりもした。
と言いながらもジョーク作家から始まったウディのキャリアが描かれていく様子、というかそもそもジョーク作家なんていう職業があったんだという驚き、それからジャック・ロリンズとチャールズ・H・ジョフといういつでもこの人たちがプロデューサーだなあと思っていた二人は元はウディのマネージャーとして関わりを始めていたということ、小さいクラブから少しずつテレビに進出してく様子、テレビ出演中のウディの姿、そういったものを見るのは新鮮で面白かったし、ジョーク作家時代、16歳とか17歳とかに買っていまでも彼のすべてのスクリプトを生成しているタイプライターの姿、ベッドサイドに座ってペンを走らせる様子、あるいは映画祭の会見か合同インタビューでウディを囲む記者たちの彼へ向ける何やらあたたかい、敬意を持った、そしてどんな軽妙なことを言ってくれるんだろうこの老人はという期待を持った視線等、いろいろと面白かった。
いずれにせよ、たしか今月末から岡山で公開される『恋のロンドン狂想曲』が楽しみです。