ブロードウェイと銃弾(ウディ・アレン、1994年、アメリカ)
2013年1月22日
堪え性がなくわめきたてるジョン・キューザック、ヒステリックでシアトリカルな話し方をするダイアン・ウィースト、目障りなスピードで動き甲高い声を発するトレイシー・ウルフマン、傲岸不遜でより甲高い声を出すジェニファー・ティリー等々がリハーサルの舞台上で動き回りやり合う様を見ていると、客席後方で新聞を読んでいるマフィアのチャズ・パルミンテリだけがこの映画において正気を保っている人物なのではないかと思えてくるが、結局この男とて、キューザックの芸術家としての遺志を勝手に相続することで悲劇の道に走らなければならないだろう。パルミンテリの、まったくの部外者から徐々に作品に侵入し、しまいには俺の台本と言うまでに演劇に取り憑かれていく姿がとてもいい。
また、厄介な人々がドタバタと奔走する様が微笑ましい。テンポよく、都合よく進められていく物語が気持ちいい。
ラストシーン。ニューヨークでのオープニングナイトで大成功を収め、と同時にもういいや、このゲームからは下りよう、となったジョン・キューザックが恋人のもとに戻る。恋人は共通の友人である売れない芸術家の男と寝ている。夜の歩道で、キューザックはその部屋に向かって出て来なさいよハニーと叫ぶ。でも彼とのセックスはとてもいいの、と窓際に立った恋人が言う。そんなにいいの、テクニックの話?と、今度は向かいのアパートの窓から別の女が言う。恋人を寝取った男が量は質を兼ねるんだよと言う。キューザックがそれ誰の言葉だ、と問う。マルクスだよ。向こうのベランダの女がいつから経済の話になったの、と言う。男が応じる。セックスは経済さ。キューザックが恋人に言う、帰っておいでと。一緒に帰ろうと。恋人はあっさりとそれに応じ、下りてくる。実に清々しい幕切れだった。