合衆国最後の日(ロバート・アルドリッチ、1977年、アメリカ)@第七藝術劇場

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人間の男女比って50:1ぐらいだったっけかと、そんなことはありはしないと知りながらもそう思い込みそうになるほどに、スクリーン上にはほとんど男しか出てこない。どの男も、必死な顔をしている。たった一つの選択を誤れば9つのミサイルが発射され、第三次世界大戦勃発となるに違いないのだから、それももっともな態度だと思う。

地球存亡の危機はもっぱら、犯人たちが占拠する軍事基地の地下、サイロ3のコントロール室と、米国閣僚がテーブルを囲む大統領官邸とのあいだでの電話を通して描かれる。主犯であるバート・ランカスターが首脳たちに、今こそアメリカは正しいおこないをしなければならないととつとつと語るときの分割画面がとてもいい。大統領のチャールズ・ダーニングを始めとした歴々が愛国者兼テロ首謀者の話を聞きながら「いやーまあなんかおっしゃってる通りの感じあるよなー」という顔つきになっていく様が克明に提示されていた。ただ、悲しいことに、それを完全に真に受けて正義をおこなう覚悟を決めたのは合衆国大統領ただ一人だった。

 

原題の「Twilight’s Last Gleaming」は米国国歌『星条旗』の一節で「黄昏の最後のきらめき」といった意味なのだそうだけれども、この映画の幕切れを見ると、邦題にもなかなかの含蓄があるように感じた。テロリストにミサイルを発射されそうだから合衆国最後の日になるかもなーというのではなく、国民を欺き闇のなかで動く政府ではなく、オープンな政府に、今こそ、と目覚めた大統領を、極めてストラテジックな理由で「死んでもらってオッケーでしょ、むしろ死んでもらった方が」と突き放した閣僚たちの判断こそが、もう終わったでしょ、最後でしょ、アメリカ、という感じなんだろうと。覚悟なきものたちが笑い、覚悟を決めたものたちが死んでいく。今際の際の大統領に秘密文書公表の約束を確認された国防長官演じるメルヴィン・ダグラスの表情が素晴らしかった。素晴らしく曖昧で、素晴らしく「参ったなー」という。
そしていくつかの無意味な死体と残されたものたちを収めながらカメラは飛翔し、止まった。

 

政治的主張のない脱獄囚たちによるただの金銭目的のテロを描いたという原作が、アルドリッチの強い要求でこのような話になったという。その結果あらわれたのは、非の打ち所の見当たらない、ただただ強固な政治映画であり、ただただ圧倒的な男たちの映画だった。
どの役者も本当に素晴らしかったけれど、必死さという点において、サリンの入った器具を触る際のバート・ヤングの演技がとてもよかった。緊張しすぎて手が動かなくなる様、時折り発せられる気色の悪い高い声、そしてその後のなぜか高慢な態度がまた素晴らしい。

 

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