マンディンゴ(リチャード・フライシャー、1975年、アメリカ)
2013年2月3日
木々の葉や庭の芝生が鮮やかなグリーンに染まる中を、縄に繋がれた奴隷たちが緩慢に行進する。あるいは売りに出される子供たちの乗せられた荷台を、仕事の手を止めた奴隷たちが見つめる姿がそこには映し出されるだろう。画面いっぱいに、奴隷たちが立ち尽くす。カメラは、汗に光る彼らの黒い肌をほとんどベタ塗りのような調子で収めるだろう。いずれにせよ、never be freeな彼らを待っているのは、首をくくられて死ぬことか、略奪した銃で主人たちに抵抗することだ。
足の悪い息子が実に複雑だ。ベッドでの相手として以上に一人の女奴隷を思いながら、はらんだ息子を売りに出さないでくれと懇願されたときに見せる表情は「え?何で?言ってる意味というか理由が全然わかんないんだけど」というものだし、闘鶏のニワトリのような気安さ(と言ったらウォーレン・オーツの顰蹙を買いそうだが)で男の奴隷を賭け決闘に挑ませながらも、怪我をすれば優しくいたわる。そしてたぎる熱湯に奴隷を突き落とす。なんの疑いもなしにリウマチを奴隷の男の子に移そうと試みる父親のピュアな奴隷観とはまた異なる、奴隷制度の終わりの始まりを象徴するような複雑で豊かな人物になっていた。彼の表情や物腰がとてもよかった。
人種の異なる人間を人間と思わないで扱う時代がこういうふうにあったのだということをまざまざと見せつけられた。白人の嫁の乱心、出産と生まれた子供の扱い、奴隷たちの主人に対する媚びだけでは済まされないような忠誠めいた、あるいは親密さめいた雰囲気。ことごとくに凄まじい緊張感のある映画だった。(とか言いながらなぜか私は二度も眠りに落ちて三日に渡って途切れ途切れに見た。)