恋のロンドン狂騒曲(ウディ・アレン、2010年、スペイン/アメリカ)@シネマ・クレール

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人生はこんなにもアイロニカルで美しい、とラスト近くにアントニオ・バンデラスが戸惑った顔で何か言い訳のようにナオミ・ワッツに言うが、そのシーンのナオミ・ワッツのこわばった表情がとてもいい。このシーンに限らずナオミ・ワッツのギクシャクとした表情はとてもいいのだが、この映画においてウディ・アレンが私たちに見せてくるアイロニカルでペシミスティックな人生観は少し気持ちの悪い居直りのように見えて、私にはとても楽しめるものではなかった。

その中でも初めて見たフリーダ・ピントーの顔立ちや、ナオミ・ワッツとジョシュ・ブローリンとジェマ・ジョーンズが口論する場面のけたたましさはよかった。特に事態の深刻さをまるで理解できずに持論というかインチキ霊能力者の受け売りをひたすら話し続けるジェマ・ジョーンズの存在感はよかった。

 

『人生万歳!』の後、『ミッドナイト・イン・パリ』の前に位置するこの作品は、まさにその前の映画でありその後の映画であるという限りにおいて見る意味のあるもののような気がした。人生に快哉を叫びたくなるような幸福の大団円をそのままひっくり返せばこの映画でのほとんどの人々の結末になるだろうし、この映画で薬よりもイリュージョンを選択し唯一ハッピーエンドを勝ち取った老婦人が何度も口に出す前世や来世の慰めをそのままスライドさせればゴールデンエイジ症候群のオーウェン・ウィルソンが過ごしたパリのミッドナイトが現れるだろう。

日本での公開順が素晴らしい『ミッドナイト・イン・パリ』の後でよかった。そこでウディ・アレンがあまたの絶賛を受けたのだと知っていてよかった。そうでなければ、すごいなんか疲れて色々嫌になってるんだろうな、大丈夫かな、この先、と下世話な心配をしてしまっていただろう。一つの作品を一つの生とみなしたとき、老婦人が売れない小説家に向ける、きっといい小説が書けて売れるわよ、来世かもしれないけど、という言葉が大いなる、そして意味のある慰めに響いてくる。


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