アンディ・クラーク/現れる存在―脳と身体と世界の再統合
2013年2月8日
現れる存在―脳と身体と世界の再統合タイトルのbeing thereはハイデガーの「現存在」から取られているとのことで、ただし、ハイデガーが関心を寄せていたことと、本書の議論とでは、激しく異なっているところもあるとアンディ・クラークは言う。特に、知識とは心と独立した世界とのあいだの関係性を含んだものという考え方に、ハイデガーは反対していた、とある。私バージョンの現れる存在は、と彼は書く。それよりもずっと幅広く、身体と周りの環境が、拡張された問題解決への活動の中の要素とみえるケースをすべて含むものである、と。
円城塔が推薦文を書いており、著作を一冊しか読んだことがないにも関わらずなぜか彼に信を置く部分があるために手に取った本なのだが、すこぶる面白く、刺激的だった。途中で議論についていけなくなって私には少しばかり難しすぎるですと思ったのだけど、最後の方ではまた面白いのがぶり返してきたのでよかった。
高度な認知は、推論を消散させるわれわれの能力に決定的にかかっているという考え方だ。(…) この考え方が的はずれなものでなければ、人間の脳は、他の動物たちや自律的ロボットがもっている、断片化した、単一目的の、行為指向的な組織とそれほど違わない。しかし、一つわれわれが決定的に抜きん出ている点がある。われわれは物理的・社会的世界を構造化するのに長けていて、それによって脳のような不規則なリソースから、複雑で整合性のあるふるまいをひねり出せるのだ。われわれの知能は、環境を構造化するために使われており、そうすることで、より少ない知能で成功を収められるようになる。われわれの脳は世界を賢くし、そうすることで、われわれは馬鹿でいられる!あるいは別の見方をとるならば、人間の脳プラスこうしたたくさんの外部の足場作りこそが、ついには賢くて合理的な推論エンジンを構成するのであり、それを心と呼んでいる。そう考えると、われわれは賢い―――ただし、われわれを包む境界は、最初に考えていたよりもずっと外へ、世界のほうへ広がっている。(P250-251)
とても単純だけど、こういう文章がすこぶるエキサイティングだった。心は世界のほうへ広がっている、とか、読んでいるだけでワクワクしてくるようだ。
賢い脳は自身の(物理的、社会的)外部世界を積極的に構造化する。そうして、行為の成功を導くのに少ない計算ですむようにしている。(…)われわれという生き物は、この地上でもっとも並はずれた外部足場の虜にして利用者だということだ。われわれは「デザイナー環境」を組み立て、その中で人間の理性は生物としての脳そのものがもつ計算能力をはるかに凌駕することができる。(P266)
人工知能や子供の発育過程、それから環世界と呼ばれるものなど、様々な事例がどれも面白く興味深かったが、特に脳は世界を都合よくくみ再構成して自分の負担を軽減させるのにとても長けている、というような感じの箇所にことごとくに「いいね!」と思った。
それは言語も同じで、コミュニケーションの手段であるのと同じぐらいに自身の認知を支える手段でもあるということだ。難しいタスクに取り組むときにぶつぶつと独り言を言う量が多い子供の方が、そのタスクを成功させる可能性が高くなるらしい。言葉にしろ、なんにしろ、足場を外に持つことで、脳は楽ができて、いろいろと効率もいいよね、という話だったのかどうかはわからないし多分違うとは思うのだけど(概要はamazonについているカスタマーレビューがとてもよくまとまっていてわかりやすかった)、そういうあたりを読んでいて思うのはエバーノートやグーグルや、あれやこれやのことで、この本が書かれたのが15年前で、そこからインターネットは急激に浸透していき、私にはなくてはならないようなものになっている。なんの本を読みたいんだっけか、今日やらなければいけない用事はなんだっけか、この映画を見たとき、何を思ったんだっけか、そういうのが大方、エバーノートやリマインダアプリや、その他様々なところに保存されていて、そう手間をかけずに取り出せるようになっている。すべての記録が消えたら、けっこう厄介事だ。それはだから、私に私を構成する一つの道具なんだよなと、読みながら考えていた。
脳のある箇所に損傷を負った人の話が出てくる。彼はノートにあれこれを書き、それとともに生きている。彼にとって、そのノートが取り上げられることは、文字通りの暴力行為だ、というようなことが書かれている。
使用者と人工物のあいだの関係がクモとクモの巣の関係ほどに近くて親密なときに限って、自己の境界が―――計算や広義の認知プロセスの境界だけでなく―――世界のほうに突き出す恐れがある。(P304)
ウェブが私たちとこれだけ親密に、そしてこれからますます親密になっていく中で、私であり認知であり心でありが、いったいどこまで世界の方に広がっていくのだろうか。