ヒトラーの贋札(シュテファン・ルツォヴィツキー、2007年、ドイツ/オーストリア)
2013年2月18日
終戦の朝、つまり収容所からナチスが撤退した翌朝、所内の他の施設にいた武装したユダヤ人たちがやってくる。腕に彫られたナンバーを見せてやっとユダヤ人だと、同じ被害者だと理解してもらえるのだが、そのあとに、彼らが過ごした、レコードのある、ふかふかのベッドのある部屋、つまりそれまでの90分間に私たちが見ていた部屋の中を、髪の毛を剃られ、げっそりと痩せこけ、汚れた身なりをした骸骨のような姿のユダヤ人たちが歩くとき、贋金づくりを課されたメンバーたちが、どこか被害者よりも加害者に近い側にいるように見えてしまう不思議が怖ろしい。
そのいくらか前の場面ではクリスマスだかなんだったかの催しが描かれるが、そこでも囚人たちと看守たちとのあいだには、どこかしら親密とも呼べるような雰囲気が漂っている。オデッサ出身で絵描きになりたいという若いユダヤ人を殺すことになるおおがらでおおへいな看守の一人は、ユダヤ人の歌うオペラに目をうるませたかと思えばユダヤ人のスタンダップコメディに大爆笑をする。ねぎらいに煙草を渡したりもする。
また、この部署のトップの男はドイツ敗戦を前に、家族で亡命できるように偽造のパスポートを囚人に作らせる。そのパスポートは彼らをユダヤ人だと証明するものだ。
ドル紙幣の作成に協力せず、あと少しで仲間が見せしめに殺されることになる原因を作り多くの仲間から顰蹙を買った男はそののちに「ドルを作るのを遅らせたおかげで戦争の風向きを変えられた」と一転してヒーロー扱いされる。この映画を見ていた者であれば、そんなふうに彼を英雄視する気には到底なれないはずだ。
冒頭とラストで映される元囚人の贋金作りが一夜を過ごすゴージャスな黒髪女の、きれいなんだかきれいじゃないんだか一言では済ませない顔立ちがもたらす印象に似た、全体に煮え切らない、複雑な思いを残す映画だった。第二次大戦のドイツに関することで言うと今度はノサックの『滅亡』を読みたい。