岡田利規/遡行 変形していくための演劇論
2013年2月21日
遡行 ---変形していくための演劇論「ゼロコストハウス」を見に行った友人はどちらもとても重大な出来事に出くわしたような感想を伝えてくれた。私は足を運べなかったので、ので、というのでは全然なくて、読みたかったから読んだだけなのだけど、まあ読んだ。「ゼロコストハウス」を読んだときもこんなに冷静で真摯で、と驚きを禁じえなかったけれど、自伝的というか、自身のキャリア的、思想的変遷を遡りながら語っていくこの演劇論においても、本当にまあ、どこまでも冷静かつ真摯かつ客観的で、読んでいて、私は本当に、この人が大好きで仕方がありません、とI swear to Godという気分だった。
たぶん、自分の立ち位置の変化みたいなものを語るとき、多くの人が客観性を保持できない。成長する、はまだ言えるのだけど、たとえば貧乏だったのからそれなりに裕福になる、という変化を自分で語ることは、裕福だったはずがすごく貧乏になってしまう、という変化を語ることと比べて、ものすごく難しい。何か、謙遜めいたものを書かないといけないような感じがある。日本の文化的なあれこれなのだろうか。わからないけれども、そういう点で、この本で著者はすごく素直に変化を語っていて、そしてそれはすごくフェアな姿勢だと感じた。こういう自分の捉え方をできる人が作ったものだったから、今まで私はこの人の作品を信用でき、アクチュアルだと感じることができたのかもしれないなと、腑に落ちた感があった。
また、演出の方法論もとても具体的に書いてあって、「なーる」と思いながら読んだ。
軽やかに、着実に変形していく岡田利規の今後をずっと追っていきたい。見たことのない作品でDVDになっているものがあればそれはぜひ見たい。
チェルフィッチュあるいは岡田利規の作品に触れたことのない人が読んだときにどう思うのかはよくわからないけれども、多くの人に読まれればいいなと思った。以下引用。なお、現在地から遡って書いていくスタイルなので、ざっくり言えばページが新しい方が現在の考え方で、先に進めば過去、ということになっている。
そのときの僕には、イラク戦争をテーマにした作品をつくりたい、というような社会的な問題意識はほとんど皆無だったと思う。個人的なことを形にしたかっただけで(…)けれどもそんなふうに、意識しなくとも社会性が入り込んでくるということって、往々にして起こる。(…)今後またああいうことが僕に起きるかどうかはわからない。いや、わからないというか、たぶんもう起きないだろう。僕はあの頃と違って、社会性のことをどうしても――ここまでに書いてきたあれやこれやあ理由で――意識するようになってしまっているからだ。(P190-191)
芸術は現実社会に対置される強い何かとなりえるものであり、そしてそういった対置物が社会には必要なのだ、こんなことになってしまった社会においてはなおさら必要だ。なぜならそうした対置物がなければ、人はこの現実だけがありえるべき唯一のものだと思うように、その思考を方向づけられてしまうからだ。
現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。(P27)
自分のテイストでないものを取り込むことで演出家としての幹が太くなった、と自分としては思っているのだけれども、それによって単に強度が落ちただけかもしれない。(…)美的強度なるものがあるとして、それがあるテイストにそぐわない何かが排除されることで成立したり保たれたりしているのだとする。その排除をやめて、それによって美的強度が落ちるとする。このことを、どう考えたらいいんだろう? そのこと自体をひとつの強度であるというふうにできるだけ説得力のあるやり方で提出することはできるだろうか?(P45)
これまでの僕は主にフリーター、つまり「負け組」のことを描いていたので、それはわりと大きな変化だと言っていいと思う。(…)僕自身の問題であり僕らの世代の問題であるところのものを、外の世代に対してぶつけていこうっていう意識、つまりはまあ当事者意識があったのだ。
けれども今はもう、僕は『三月の5日間』や『エンジョイ』に出てくる彼らと自分とが同じだ、と思うことはできない。単純に年をとったというのもあるけど、自分が演劇のつくり手としてなんだかよくわからないがずいぶんと認められてしまったというのもある。「負け組」の若者にアイデンティファイするのが、だんだん本当のことじゃなくて、ふり、になってきた。だからそれはもうやめた。(P65)
身体の存在の状態のテンションを上げるとか、時間をひき延ばすということをするには具体的にはどうすればいいのか、ということに対する明快な答えを得ていたのだ。
ではその答えとは何か?
ひとつのイメージで過ごす時間をできるだけ長く長くしていくこと、である。
(…)役者が、頭の中に抱くとあるひとつのイメージの中を、うんざりするくらい長持ちさせつづけてその中で過ごしきることができたらすばらしい。(P219)
だからイメージをどんどん肥大させていってほしい、と僕は役者に要求した。
不必要なまでに豊かになったイメージが役者の身体にもたらす動きは、もはやせりふとは何ら直接的な関係を見出さないようなものになりうる。だってそのとき彼なり彼女なりが持っているイメージの中には、それがせりふとして、つまり言葉という形に変換されて発せられることのないものがたくさん含まれているから。
たとえばこんな感じ。六本木の通りを行き交う人々の様子を、役者がイメージしたとする。そのイメージを不必要なまでに具体的にしていくことで――行き交う人々の中にひとりものすごい美人がいる、とか――、そこから豊かな動き――太もものあたりを手のひらでさする、とか――が生み出される。(…)そのとき、太ももをさする動きの意味が観客にはわからない。
それでも、その動きはただのナンセンスとうことには決してならない。太ももをさするという動きを彼の身体にもたらす原因――つまりイメージ――は確かに存在していて、その動きが間違いなくそこからやってきているのであれば。関係なさそうで関係ありそうな言葉と身振り、というのが僕の、身体に対する興味の在り処の基本なのだ。(P194)
僕の方法論と役者の力量との力関係が変わった。それまでは僕の方法論にはどっちかというと、役者のり力量を補完するような、自転車の補助輪みたいな意味合いもあった。でも、そんなことをする必要がなくなってきた。方法論は役者を保護する役割から解かれた。そして、役者のプレゼンスを最大化するための最低限の条件といった程度のものになった。役者の存在の背後にあるものとなり、特に差し出がましいことをしないでもよくなった。方法論を、閑職に追い込んだのである。(P69)
『ゾウガメ』のリハーサルのときの僕は、いつにもまして役者たちにできるだけ勝手にパフォーマンスすることを要求した。(…)
この頃から僕が役者の身体を方法論でもって規定することに倦みはじめたことも大きく関係している。
それまでの僕にとって、いい役者かそうでないかをはかる主な尺度は、僕の方法ん論をどれだけ体現できるか、ということだった。方法論が適用されることによってその人からヘンテコな身体の動きが導出されるか、そういう適性がその身体にあるかどうかがなにより大事だった。
しかし、その尺度が変わったのだ。それとはほぼ真逆になったとさえ言えるかもしれない。僕の方法論を忠実にその身体に走らせることができるだけの役者では、退屈になってきたのである。(P50)