5月、Sylvain Chauveau、セルヒオ・ラミレス

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ゴールデンウィークが終わりを迎えた夜、店を閉めたあとにゆっくり本を読みたくて、店も家も、本を読むには気分的にどうにも落ち着かないというかフィットしきれないところがあり、それではどこかよその店に行けばいいのかと考えたときにも0時を過ぎて開いていて本をじっくり読めるという場所もそう思いつかない。読書難民と言って差し支えないと思う。ゆっくりと、快適に、何も気にせずに本を読める場所。私は本当に、心底に、そういう場所を希求している。
それで今晩は、少し前に彼女が「あそこは最高」と言っていたマクドナルドという場所にいくことにして、わざわざ車を走らせた。店に入る前に外の灰皿があるところでタバコを吸っていると全身オレンジのレインウェアを着た自転車の男が目の前で急停車し、火を貸してもらえますか、と言ってきたのでびっくりしましたと言いながらライターを渡した。大学のときのゼミの人たちが作ったリトルプレスで、なんという作家だったか、忘れてしまったしちょっとしたら思い出せそうな気もするのだけれども今のところは忘れているのだけれども、なんだっけか、まあ、たしかアメリカの小説家で売れない小説をものすごい量書いたなんとかという、日本では訳されていないなんとかという作家を特集したリトルプレスで、それはとてもよく出来ていて、そこに翻訳ができる人がいくつかの作品の翻訳を載せていて、その一つのタイトルが「チャイナマンが火をつける」みたいな感じで、かっこいいと思った記憶があって、その翻訳をやった人はたぶん今も翻訳関係の仕事をしているのではないかと、フェイスブックでたまに見かける投稿から察せられたような記憶もあいまいながらするけれど、確かなことはまるでわからない。
その人ではなく、そのリトルプレスを作ったもう一人の人から昨日の夜に電話をもらい、彼はいくらか前に店にも来てくれたし、年末にもバウスシアターでばったり会って新宿のやたらに高い喫茶店で茶をしばいたから、そう久しぶりということでもなかったし明確な要件があっての電話ではあったのだけど、彼はその日だかにサックス奏者の坂田明の本を買ったらしく、その本で、水の中の生物は3つに分類される、ということが書かれていると言う。プランクトン(浮遊生物)、ネクトン(遊泳生物)、ベントス(底生生物)、ということだった。ということは、この場合、「トン」が「遊」に対応しているということだろうか、と私は言った。そうかもしれないねと言う彼は、それから、その日に読んだ詩に、サイコロを振ろうとした男が鼻から鮮血を吹き出し、それを隣で見ていた「僕」はだけど、まだまだ遊び足りないからそれを無視する、ということが書かれていた、と言った。私はかつての同居人であるその友人が詩を読むということに対して驚きを感じながらもそのことについては特に触れなかった。
遊ぶっていったいなんなんだろうね、という感想にもならない言葉を漏らした。遊びたいなんて思わないけれどね、と彼は応じた。どういうものが遊ぶなのかは判然としないながらも、遊ぶよりも本を読むとか、人と話すなら不毛な笑いとか不要の話をしたいし、それがあればいいような気がする、と私は考えているのだけれども、4月の半ばに友人の結婚式があった。
その友人もまた、かつての同居人であった。昨夜電話をくれた元同居人は、在住期間たしか数ヶ月の、いわゆる第三の男としての同居人であり、4月に式を挙げた元同居人は、ルームシェアの最初から最後までを一緒に暮らした同居人だった。第三の男に該当する部分は、2年と半年ほどのルームシェア生活の間で4人にまたがった。第三の男たちはみな一様に、金払いが悪かった。彼らの名誉のために付言するが、ここの部分は記憶違いかもしれない。
結婚式は彼と奥さんの故郷である大阪でおこなわれたため、岡山からも行きやすく、ありがたかった。何人もの友人たちが、めかしこんだ格好で、みな大人になったものだと私は少しの感慨を覚え、久しぶりにスーツを着た私は「久しぶりにスーツを着ている人だとぱっと見でわかる」と指摘された。シュッとさせたかったのだけれども、よれよれだったらしかった。
式はとてもよく、予想通りに私は少し泣いたし、まったく予想しなかったことに、新郎である元同居人も最後のあいさつで声をつまらせていた。それは驚くべき光景だった。だけどそれは素晴らしいことじゃないかと、彼の涙を見て私はまた胸を熱くした。それはいいとして、式を終え、夜にどこかで飲もうということにしていくつかのグループに分かれた。宿を取っていてホテルにチェックインするグループと、その日に東京まで戻るかもしれないグループで、私は後者の人たちとともに行動した。特に行き先もないので通天閣のある駅でおり、うらぶれたアーケードを歩き、なんという名前だったか、射幸心を満たすピンボールマシンみたいなやつを一心不乱に打ち、それから串カツを食べてビールを飲み、スパワールドで長々と風呂に入り、そうしているともう新幹線も終わる時間が近づいたので、当初の予定である大学時代の人々および新郎と合流して飲むということは諦めて新幹線で岡山まで帰った。
要は、結婚式にいって、そのあと大阪観光をした、という日になったのだけど、懐かしい人たちと4人だったかで午後いっぱい、歩き、食べ、飲み、話し、ひとっ風呂を長々、ということをおこなったわけで、私はなんというか、友人と遊ぶというのをとても久しぶりにおこなったような気がしたし、遊ぶってもしかしたらこういうことを指していたのかもしれないと、新鮮な思いがしたのだった。友人との何かしらなど、飲みに行って話す以外はここ何年もほとんどしていなかったような気がするので、たまにあるこういう時間は、それはとても楽しく、嬉しいものだった。そういえば、その遊んだ友人たちの中にも一人、かつて第三の男だった男がいた。
私はかつて、その男に影響され、タバコの銘柄をラッキーストライクにし、髪型を似合いもしないドレッドにしたのだった。自分の歴史を笑い飛ばせるんだったらそれで万事いいねって、それは俺はいつだって本当にそう思うよ。


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